大ベテランの最新刊

ちばてつやが「ビッグコミック」(小学館)で連載している『ひねもすのたり日記』の第2集が刊行された。もともと「ビッグコミック」では、水木しげるの自伝的エッセイマンガ『わたしの日々』を連載していた。

水木が連載終了後、その枠をちばが引き継ぐかたちでスタートしたのがこの『ひねもすのたり日記』だ。そのため自伝的エッセイマンガという形式も継承している。
第1集は、ちばてつやにとっては18年ぶりとなる新刊だった。

自伝的エッセイマンガという形式上、ちばてつやの思い出(満州での生活、引揚げ、帰国後の生活、デビュー当時)や現在の出来事が順不同に描かれていく。
1話あたり4ページと短く、雑誌掲載分を読む際には、雑誌の巻末を締めくくるにふさわしい「軽さ」と内容的な「重さ」を兼ね備えているように感じていた。わずか4ページながら、読後にほのかなペーソスを感じさせるあたりは、さすがは大ベテランならでは、と。

ところがコミックス形式でおよそ30回分(=15カ月分)を一気に通読すると、また違った味わいがあることに気づく。過去と現在のエピソードが短いスパンのあいだに交互に押し寄せてきて、さながら大ベテランの思索と記憶を経巡っているかのような感覚に陥ってくる。
細かいジャブを繰り返し受けていたら、最終ラウンドにはダメージが蓄積しており、一気にKOまで持っていかれるような1冊になっているのだ。

ちばあきおのこと

この第2集には、実弟ちばあきおとの思い出が描かれている。
ちばあきおは『キャプテン』や『プレイボール』などの代表作を世に送り出すも、41歳の若さでみずから命を絶った。第32回「あきおのこと①」、第33回「あきおのこと②」、第34回「あきおのこと③」、第35回「あきおのこと④」と、4話(=2カ月)連続でちばあきおとの思い出を綴っている。
第32回が掲載されたのは「ビッグコミック」2017年4月25日号。
ちょうどこの年、「グランドジャンプ」(集英社)2017年9号(4月5日発売)から、コージィ城倉による『プレイボール2』(原案:ちばあきお)の連載が始まっている。
おそらく事前にネームかゲラの段階で、ちばてつやの下にもチェックが回ってきたのだろう。そこから弟・ちばあきおについて描こうと思い到ったのではないかと推測される。だからエピソードとしては思い出話であっても、“思い”はリアルタイムなものなのだ。古いアルバムを見せられているような気分にはならない。そこに描かれているのはノスタルジーではなく、現在のちばてつやのリアルタイムでフレッシュな感情なのだ。

昨年(2018年)、ちばてつや先生にインタビューする機会に恵まれた。

このインタビューでは『あしたのジョー』についてお聞きした。
梶原一騎の書いてきたラストに納得がいかず、梶原に「変えます」と電話で宣言したものの、いい展開が思い浮かばずに苦悩したエピソードを披露してくれたが、その際に「弟(ちばあきお)にも相談した」と話していたのが、とても印象深かった。

第35回「あきおのこと④」の最後は、ちばてつやがちばあきおに送る言葉で締めくくられている。ちばてつやのちばあきおへの思いが、抑制の利いた表現で刻まれていて、とても素敵なコマである。

『どっこい生きてる』と『自転車泥棒』

この第2集を読んでいるときに、僕はある映画作品をふと思い出していた。
それは『どっこい生きてる』だ。

本作の劇場公開は1951年。
終戦直後の東京を舞台に社会の底辺に生きる人々を描いている。職にあぶれた主人公は、ニコヨン(日当240円)と呼ばれる日雇い労働を続けて日々の糊口を凌いでいたが、家主から家を追われ、主人公の一家四人は路頭に迷うことになる。妻子は田舎の実家に戻り、亭主はニコヨンをしながら就職先を探す。どうにか働き口を見つけるが、給料日までの生活費がない。職安仲間から借金をするが、その金を盗まれてしまい、そして妻子も田舎に居場所を見つけられず、ついには一家心中を考えるようになっていく。

『ひねもすのたり日記』第2集収録の第41回「1947年、東京」では、1947年の上野駅の様子が描かれるが、『どっこい生きてる』では同時期(撮影開始は1951年3月)の上野駅構内やその周辺の状況を実写で観ることができる。終戦から6年しか経っていない「焼け野原の東京」のリアルな映像は、心胆を寒からしめるものがある。
本当に、どこもかしこも瓦礫なのだ。
余談だが、田舎に行く妻子を上野駅で見送る際に、主人公が子供に露店で赤本を買い与えるシーンがある。このとき、最初は『豆ターザン』という本を手に取るが、カットが変わって子供が手にしている(買ってもらう)のは『ロックホーム』。手塚治虫の赤本時代の作品だ。
手塚治虫が東京に移住するのは1952年。
つまり、手塚の上京前、宝塚で医専に通いながらマンガを描いていた時代の赤本である。
資料性の高いシーンなので、あえて付記しておきたい。

終戦直後の占領下日本では、GHQの指導の下、レッドパージ(赤狩り)が行われた。
赤狩りについては『赤狩り』(山本おさむ)のレビュー記事でもふれたが、日本でも多くの人がレッドパージによって職を失っている。『どっこい生きてる』はレッドパージで大手映画会社から追放された人々によって製作された映画で、イタリアのネオレアリズモの影響を色濃く受けているとされている。ネオレアリズモの映画は社会問題をドキュメンタリー風に扱う。セットではなく現実に存在する場所でロケを行うところも特徴のひとつだ。上野駅や千住大橋、山谷の職業安定所を舞台に、戦後の就職難と貧困を描く『どっこい生きてる』は、なるほど確かにレアリズモ映画といえるだろう。
もう少し時代的なことを言うと、日本がサンフランシスコ平和条約に調印するのは1951年9月で、GHQの占領を脱して主権を回復するのは翌1952年のこと。占領下の日本で『どっこい生きてる』のような映画が公開されたことには、当時としては大きな意義があったに違いない。

そして、ネオレアリズモの代表作としては『自転車泥棒』が挙げられる。

『自転車泥棒』は、第二次大戦後の貧困にあえぐイタリアを舞台に、仕事に必要な自転車を盗まれてしまった主人公の物語だ。イタリアと日本の違いはあれど、戦後の混乱期に社会の底辺で苦しむ庶民に焦点を当てた作品としての相違点がある。
そして『ひねもすのたり日記』第2集では、第48回「自転車とお兄さん・前編」、第49回「自転車とお兄さん・後編」と、ちば家に起きた『自転車泥棒』さながらの事件が語られる。

『ひねもすのたり日記』『どっこい生きてる』『自転車泥棒』とあわせて観ることで、戦後の風景がより立体的に想起できるようになる。そうすることで、そこに生きた「ちばてつやの思い」も、より鮮明に浮かび上がってくる。
『ひねもすのたり日記』は、ベテラン作家の思索と記憶を経巡ることができる名作であり、『どっこい生きてる』や『自転車泥棒』によって同時代の息吹を感じることで、その読書体験はより豊かなものとなるはずだ。