1988年の映画が2019年に劇場公開
シネマート新宿で公開中の映画『ザ・バニシング-消失-』を観てきた。1988年の映画。
日本での劇場公開は見送られていたが、今年(2019年)になって公開されることになった作品である。過去にVHSやDVDはリリースされたようだが、現在入手は困難な状態だ。
監督のジョルジュ・シュルイツァーは、1993年にキーファー・サザーランド主演で本作をセルフ・リメイクしている。
本作(1988年版)のあらすじは以下のとおり。
なお、ストーリーの核心部分へ言及するため、以下の文章にはネタバレが含まれる。
「飲め」か「飲むな」か、コーヒー問答
レックスとサスキアのカップルは、休暇を利用し、車でオランダからフランスまで旅行に来た。だが、途中のドライブインで飲み物を買いに行った彼女(サスキア)が失踪してしまう。主人公・レックスはサスキアの行方を探すが、手掛かりを得られないまま、3年が経過する。レックスは依然として捜索を続けていたが、そこに犯人と思しき人物からの手紙が届く。
一方、妻子持ちの男性・レイモンの物語が同時に進行する。
レイモンの物語を追っていくと、彼がなにがしかの犯罪の予行演習を繰り返していることがわかってくる。すると観客は「ああ、こいつがサスキア失踪事件の犯人なんだな」とわかる。だから、ミステリーのつもりで観ていると肩透かしを食うかもしれない。しかし、このようにして本作は「犯人捜しのミステリー映画」ではないことが提示されているわけだ。この作品は猟奇的な事件と犯人や、人間心理の狂気を描いた「サイコサスペンス」なのである。
視聴者が感情移入しやすいのは主人公レックスだ。
パートナーが行方不明になるという不幸に見舞われたレックスに同情するし、サスキアを捜索する姿を痛ましく思う。ところが、3年の歳月を経たレックスの行動原理は、「彼女の安否」よりも「真相を知りたい」という好奇心と執着心に変容している。その「行き過ぎ」っぷりから、そもそもサスキアとはレックスの空想の産物(イマジナリーフレンド)ではないかと疑うほどだ。映画冒頭のサスキアとの喧嘩シーンでレックスの偏執的な一面を見せられているので、余計にそう思ってしまう。レックスへのシンパシーが、徐々に離れていく作りになっているわけだ。
一方のレイモンは、思いついた完全犯罪を実行に移すために、さまざまな練習を繰り返す。その時点では明らかにレイモンは異常なのだが、練習時のトライ&エラーや子供への接し方などを見ていると、レイモンの小市民っぷりが伝わってくる。こちらはレックスとは反対に、無理解から発して共感を抱いていくような作りになっている。
そして物語のハイライトでは、コーヒーをめぐる押し問答が起きる。
ここで「飲め!」と思うか「飲むな!」と思うかによって、知らず知らずに「自分が選んだもの」と「選ばなかったもの」の対比が胸の内に湧きてハッとさせられる。自分がこの物語に何を求めていたのか、自分の中のサイコな心理が何を志向するのかを突き付けられてしまうのだから意地が悪い。
つまりこの『ザ・バニシング-消失-』という作品は、レックスやレイモンの異常心理を描いているサイコサスペンスであるばかりか、視聴者の内面を浮かび上がらせる一回性のドキュメントという意味においてもサイコサスペンスになっている。
僕は「早く飲めよ!」と思ったクチだ。
本当に巧妙な映画である。
ちなみに。
サスキアが失踪するまでの冒頭のシーンは、ツール・ド・フランスが開催中の時期である。ラジオからはベルナール・イノー、グレッグ・レモン、ペドロ・デルガドといった名前が聞こえてきて懐かしい気持ちになった。イノー(字幕では「ベルナード」表記)がまだ現役だから、撮影は1986年だったのかな?
コメント
コメント一覧
主人公の「本当のことを知りたい」という気持ちには共感しました。
たとえ彼女が死んでいたとしても(死んでいる可能性が高いと思っていても)、本当のことを知らないままではその先を生きて行く踏ん切りが付かないと思うからです。
私も「コーヒーを飲め」と思いました。
面白い映画でした。