よく練られた、ジョーカー・ビギンズ

映画『ジョーカー』を観てきた。
ジョーカーとは『バットマン』シリーズのヴィラン(悪役)のひとりで、
本作はジョーカー誕生を描いた「ジョーカー・ビギンズ」といったところ。
ただし、現在DCが展開しているDCエクステンデッド・ユニバースの
シリーズには含まれないようだ。

『バットマン』シリーズに登場するヴィランの多くは、
彼ら自身がトラウマを抱えた犯罪被害者であり、精神障碍者である。
法を犯してクライムハンター(バットマン)に捕縛されても、
ヴィランに刑が執行されることはない
かわりに触法精神障碍者としてアーカム・アサイラムへ収容される。
(本作ではアーカム州立病院)

バットマンは武装して犯罪者を捕まえるが、
彼の行動は公権力で保証されているわけではない。
自前で武装したヴィジランテ(自警)活動に過ぎない。
目の前で両親を殺害された男が、
犯罪者を憎んで犯罪行為(暴力)を振るっている……とも取れる。

だから『バットマン』シリーズには、
「法が裁けない(及ばない)状況下で何が善悪を決めるか?」
というテーゼがつねに付きまとう。
だからこのシリーズでは、
バットマン(正義)とヴィラン(悪)はつねに表裏一体であり、
お互いが「ありえたはずの、もうひとりの自分」ということになる。
(ユング心理学における「影(シャドウ)」)
アーサーがジョーカーを名乗ったその日、
ブルース少年にはのちにバットマンになる契機が生じていることから、
このふたりの表裏一体性は顕著に表れている。
今作『ジョーカー』では、ここにマイノリティや
格差によって社会的地位が固定化した弱者の問題が絡む。
何が善悪を決めるか。
作中でジョーカー自身が明言するシーンが印象的だった。

脚本の良さは群を抜いており、
トーマス・ウェインの「顔を隠さないと何も言えないピエロ」との発言は
“本当の姿を隠さないと生きていけない”マイノリティにとって最大の侮蔑なので
失言としては100点満点の出来栄えだ。
劇中でマレー(ロバート・デ・ニーロ)が放つジョークに、
ユダヤ系の名前を名乗ったら生きていけない」とあるのが
まったくもって示唆的である。

アーサー(ジョーカー)が車のガラス越しに外を見る2つのシーンは、
同じカットなのに本人と彼を取り巻く世界がまったく変わっており、
「目で見てわかる」豊かな映画体験を提供してくれる。

あと。
劇中挿入歌としては、クリームの「White Room」がアガります。

最強のジョーカーはプリンス

『ジョーカー』公開に合わせ、SNSでは歴代の『バットマン』映画でジョーカーを演じたジャック・ニコルソン(『バットマン』1989)、ヒース・レジャー(『ダークナイト』)、ジャレッド・レト(『スーサイド・スクワッド』)と、本作の主演ホアキン・フェニックス比較する動きがあった。

個人的な好みでいえば、断然、
「Batdance」のMVのプリンスがNo.1だ。


「Batdance」


「Partyman」

これは映画『バットマン』(1989年)のサントラで、
この作品でのジョーカーは元々マフィアの手下だった。
『ジョーカー』や『ダークナイト』におけるジョーカーのキャラクター性は
バットマン:キリングジョーク』が下敷きにあると思う。
しかし、バットマンとジョーカーの表裏一体性や、
お互いのシャドウ的な性質といった共通性に関しては、
それらを反則的に表現したプリンスのビジュアルが最強。

というか、どのジョーカーも、それぞれ素晴らしいんだけどね。