ホラーかと思ったら……
東日本大震災のあと、しばらく映画館に行くのが躊躇われてしまった。東京でもまだ余震が続いていたので、情けない話だけど、狭い劇場に行くのは怖い気持ちがあったからだ。少し落ち着いてきた頃、ようやく思い立って行ったのが『冷たい熱帯魚』だった。
地下にあるテアトル新宿に行くには、やっぱり少し躊躇したけれど、上映終了後に舞台挨拶や見送りの握手会があったこともあって、ようやく重い腰を上げたことを覚えている。
『冷たい熱帯魚』は、1993年に埼玉県で起きた愛犬家連続殺人事件をベースにしたサスペンスで、劇中にはゴア描写も含まれている。
僕はホラー映画やスプラッタ映画は好きだけど、これらのジャンルに「ストレス発散効果がある」という言い分には、いまひとつピンと来ていなかった。しかし、本作を見ている最中、震災によって溜まっていたストレスが相殺されていく効能をハッキリと感じていた。
これが噂に聞くアレか、と。
新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が解除され、ようやく劇場での映画公開が再開されたいま、ゾンビ映画はおあつらえむきではないかと思い、『デッド・ドント・ダイ』を観に行ったのである。
映画を観る前の前情報としては、ビル・マーレイが出ていることと、ジム・ジャームッシュがゾンビ映画を撮ったという2点しか仕入れていなかった。
ビル・マーレイはなぜか妙に気になる俳優で、『恋はデジャ・ブ』は何度も観てしまう。
(繰り返し観るということが、意味を持つ作品ではあるけれど)
僕はホラー映画やスプラッタ映画は好きだけど、これらのジャンルに「ストレス発散効果がある」という言い分には、いまひとつピンと来ていなかった。しかし、本作を見ている最中、震災によって溜まっていたストレスが相殺されていく効能をハッキリと感じていた。
これが噂に聞くアレか、と。
新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が解除され、ようやく劇場での映画公開が再開されたいま、ゾンビ映画はおあつらえむきではないかと思い、『デッド・ドント・ダイ』を観に行ったのである。
映画を観る前の前情報としては、ビル・マーレイが出ていることと、ジム・ジャームッシュがゾンビ映画を撮ったという2点しか仕入れていなかった。
ビル・マーレイはなぜか妙に気になる俳優で、『恋はデジャ・ブ』は何度も観てしまう。
(繰り返し観るということが、意味を持つ作品ではあるけれど)
ロメロのゾンビ映画が持つ社会批評性
ホラーを期待していくと肩透かしを受けるし、オフビート系の作品はとても好みが分かれる(僕はあまり好んで観るほうではない)。それに、終盤で『ホーリー・マウンテン』を観ているような気分になるくだりもあるので、なかなか他人にはオススメしづらい作品じゃないかと思う。
ただ、ロメロゾンビの初期三部作(『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』『ゾンビ』『死霊のえじき』)へのオマージュはものすごく感じる。とりわけ、作中のゾンビたちが生前の生活様式(習慣)に従って行動する点だ。本作のゾンビたちは、意思はなくとも“習性”としてコーヒーを求めてきたり、スマホをいじったり、グラウンドでサッカーや野球をしようとしたりする。さながら『ゾンビ』でショッピングモールに吸い寄せられてくるゾンビのように。
それは文明批判であり、自分の意思で考えることを放棄して習慣に支配されて行動する反知性主義的な人間に対する批判でもある。あるいは社会の分断に対する警鐘も。そういったロメロ映画の持つ社会批評性を、愚直なまでに再現した作品ではあるので、「ゾンビ映画ファン向け」というよりは「ロメロファン向け」と言うべきかもしれない。
ロメロのゾンビ映画に関しては、こちらの記事もご参照いただきたい。
で、マンガ好きには、あらためて『流血鬼』(藤子・F・不二雄)を読んでもらいたい。あの『流血鬼』のラストを、もう一度よく考えて、どういう作品だったのか考え直したい。『地球最後の男』を肯定的に捉え直しているのか、あるいはそうなることをシニカルに描いているのか。『デッド・ドント・ダイ』を観た後だと、そのあたりの主題がよりクリアになるのは確かだ。
映画館に行けるようになる日が戻ってきて、本当によかった。
どうか再拡大しませんように。
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