ファースト・インプレッション

本ブログでは、あまり例がないけど
今回は新連載マンガの第1話についての感想。

7月3日(金曜日)から、集英社のマンガ配信サイト「ジャンプ+」で『怪獣8号』の新連載がスタートした。同サイトでは第1話が無料で読むことが可能だ。



途中まで読んだところで、僕は「青年誌でウケそうだな」との印象を受けた。近未来を舞台にしたSFで、地球は未曽有の危機にさらされながら、それでも社会の秩序が維持されているところに、近いところでは『あげくの果てのカノン』を思い出したからかもしれない。あるいは主人公・日比野カフカが亜白ミナを見つめるまなざしが、『All You Need Is Kill』を思い起こさせたのかもしれない。

主人公・カフカの職業を防衛隊(怪獣討伐)ではなく、討伐された後の清掃業にしている点も、青年マンガっぽいアイデアだ。『13日の金曜日』に惨劇があったとして、その翌日の「14日の土曜日」を描くようなズラし方とでも言おうか。少年マンガであれば、文句なしに「13日」にスポットを当てるんだろうけど。

そして主人公が32歳のオトナである点も興味深い。
「(若い頃に諦めた)夢をもう一度」という、いわゆる“負け犬たちのワンス・アゲイン”的な要素が前面に押し出され、それが冒頭から物語の推進力になっている。
主人公がオトナの作品は「少年ジャンプ」にも珍しくはなく、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津勘吉などがその代表例といえるが、両津の大人目線は「事象に対する異化(引いた目線)」であり、それが「流行をイジる(客観視する)」物語定型やギャグへと結びついている。本作はそれとは異なり、劇中で主人公の心情が吐露され、精神的な変化(や成長)が描かれるので、読者に「主人公への同化」をうながす構造をしている。これは異化とは反対の作用だ。「オトナ主人公への感情移入」が物語を推進していたところから、「青年誌でウケそうだな」と感じたわけである。
そう思って読み進めていたところ、あの第1話のラストの展開だ。物語における定型を、うまく逆手に取った「引き」の作り方をしている。
どうなるの?
これは続きが気になる。期待しかない。

ディストピアとポスト・アポカリプス

怪獣が社会を日常的に脅かし、それを駆除することが常態化した設定は、近未来ディストピアとかポスト・アポカリプスといった呼ばれ方をされがちだ。厳密には両者は異なるので、その違いをおさえておきたい。

ディストピアはユートピア(理想社会)の反対なので、「あってほしくない社会」が舞台となる。ジョージ・ルーカスの『THX 1138』やスピルバーグの『マイノリティ・リポート』、キューブリックの『時計じかけのオレンジ』など名作が多く、あるいは藤子・F・不二雄のSF短編『定年退食』も代表例として挙げておきたい。これらの作品は近未来を舞台にしているのでディストピアの有り様がわかりやすいが、「あってほしくない社会」が描かれていれば、必ずしも未来である必要はない。『懲罰大陸★USA』はアメリカがベトナム反戦運動の取り締まりを激化した「if」設定で、時代は近未来ではないものの、「行き過ぎた管理社会」との観点からディストピア作品といえる。『懲罰大陸★USA』は、そのディストピア社会化したアメリカを、イギリスの放送局がドキュメンタリー番組で報じる、というフェイク・ドキュメンタリーの手法なので、何の前情報もなく観ると理解しづらいが、大変ショッキングな作品だ。現在はAmazonプライムでもレンタルが可能になっている。

一方のポスト・アポカリプスとは、文明崩壊後の世界が舞台となる。
核戦争や環境変化によって現在の地球上の文明が崩壊しているので、こちらは(その作品が描かれた時点よりは)未来である必要がある。三度映画化されたリチャード・マシスンの小説『アイ・アム・レジェンド』(映画『地球最後の男』『地球最後の男 オメガマン』『アイ・アム・レジェンド』)がその代表例で、大半のゾンビものはアポカリプス(世界の終末)へと向かっている。マンガでは、近い例では『7SEEDS』『アイアム・ア・ヒーロー』『少女終末旅行』などが挙げられる。


「このマンガがすごい!2019」オトコ編で1位となった『天国大魔境』も、キルコとマルのパートはポスト・アポカリプスものといえるだろう。近年のマンガは、ディストピアよりはポスト・アポカリプスのほうが多い印象を受ける。

この『怪獣8号』は、どちらかといえばポスト・アポカリプス寄りの舞台設定といえる。文明は崩壊していないし、現在と地続きの日常が存在するが、ふとしたきっかけで世界は崩壊しかねない。世界は滅亡を回避し続けているのか、それとも確実に滅亡に向かっているのか。
ポスト・アポカリプスは、3.11以後の心情にマッチしたところがあったが、現在の「コロナ以後」の世界情勢では、すでにわれわれの日常がディストピア化しており、「日常は続くが滅亡と隣り合わせ」の世界観がフィットするようにも思える。

「人(にん)に合う」という言葉の意味

作者の松本直也は「赤丸ジャンプ」出身で、今作がひさしぶりの連載作品となった。一読すればわかるとおり、とてもマンガ的な画力が高い実力派で、失礼な言い方をすればこれまでヒット作には恵まれてこなかったが、メディア(掲載媒体と読者層)や主題がうまくフィットしていなかっただけのようにも思える。「このマンガがすごい!2020」でオトコ編1位『SPY FAMILY』(やはり「ジャンプ+」連載)のインタビューをした際、担当編集氏から「『ジャンプ+』は規制なし、ページ数の規定もなし」とうかがったので、こうした才能を掬い上げるメディアとしてうまく機能しているな、と感心せずにはいられない。

思うにキャラクターのリアリティとは、それが現実に即しているかどうかとは無関係に、作者と対象との心理的な距離感ではないだろうか。この「(若い頃に諦めた)夢をもう一度」と願うに至る日比野カフカの内面の変遷と、作者の境遇や心情が心理的に近く、そこからリアリティが生じているのだ、と。

落語の世界では、演者のパーソナリティ(人となり)に合った噺や場のことを、「人(にん)に合う」という言い方をする。人に合った噺を見つけ出せれば、その落語家の大きな武器になる。
松本直也はこの主人公・日比野カフカを通じて「人に合った」心理描写を見つけ出し、この『怪獣8号』はそれを主題とするのではなく、物語を推進する(読者が引っかからずに話に入っていける)ための材料としているところにスペシャリテがある。

毎週金曜日の更新が、実に待ち遠しい作品である。
期待しすぎ? いや、期待に応えてくれるはずだよ。