8巻は「お金問題」

本当に大変な1年だった。
そう実感している方も多いのではないだろうか。

はじめに個人的な体験を記す。現在進行形の話でもあるので、詳細はぼかして書く。
このコロナ禍では、在宅仕事で夫婦の共有時間が増えたり、夫婦のいずれかが失職したりしたことで、夫婦間の不和やDVが増加し、「コロナ離婚」が増えたという。
僕の知人は、パートナーと同棲中であったが、自粛期間中に共同生活を解消することになった。だが、家を出ていくにも引っ越し資金がない。期せずして「仕事はあるのに家がない」状態に陥る危機に直面してしまった。

知人から諸々の問題を聞く限り、金を貸したり「うちに来い」と提案したりすることが根本的な問題解決につながらないと感じたので、行政に相談したところ、「TOKYOチャレンジネット」の存在を知るに至った。この制度を利用すれば「緊急的な一時宿泊場所」(ビジネスホテルなど)に無料で泊まることができ(生活費は別)、そこをワンステップに「一時利用住宅」(都が契約している民間アパート)に入居が可能だ。一時利用住宅は最大3カ月間の無料利用ができ(生活費は別)、そこで生活するあいだに引っ越し資金を貯めましょう、という制度となっている。いわゆる「ワーキングプア」や「ネットカフェ難民」への対策としての意味合いもあるようで、タイミングさえ合えば「緊急的な一時宿泊場所」には即日で利用することも可能という。

僕は知人にこの制度を利用させるため、必要書類を用意させ、相談窓口の予約を取り、当日はハイジアにある相談所の近くまで付き添って(窓口は個人情報保護の観点から当事者以外は入れない)、すっかりくたくたになってしまった。

行政には、さまざまな制度が用意されている。
本当にその制度を必要とする人に情報が届いていない点は問題だが、支援策は確かに存在する。このように「金がないなりの問題解決策がある」のを体験したばかりだったので、『「子供を殺してください」という親たち』最新8巻で語られるエピソードの数々はとても“刺さる”内容だった。
8巻は「金」に焦点が当てられているのだ。

当事者にパートナーがいるケース

この8巻では、経済的に「カラッカラ」のジリ貧状態になった相談者と、金銭的には余裕のある相談者を並立し、「金のあるなしと心の余裕は比例しない」テーゼを掲げる。これらの「依頼にならなかったケース」ステップとして、【ケース15】へとつなげていく構造を取っている。

「金がないのは首がないのと同じ」という言葉もあり、どのような問題においても、金は選択肢の幅を広げる。また、いくつかの手順をスキップできる(もしくは他人に委ねられる)のは事実だが、最終的には「どれだけ当事者意識をもって問題解決に臨めるか」の覚悟が必要となり、その点においては金のあるなしは問題解決に寄与しない。
その覚悟のなさを示しているのが【ケース14】に登場する例だ。彼らが求めているものは(できるだけ世間体のいい)座敷牢か姥捨山でしかない。田代運送のオヤジは、マキタスポーツ似で味があるキャラクターだが、【ケース9】(4~5巻)に出てきた黒澤美佐子の父親とメンタリティは近い。田代オヤジのほうが、自分の要求(座敷牢か姥捨山)に自覚的であるともいえる。

さて、【ケース15】の特徴としては、医療につながる必要のある当事者に伴侶(旦那)がいる点が挙げられる。これまでは「親―子」「祖母―孫」といった縦軸の関係で、保護者がひきこもりの当事者を「殺してください」と言ってきたわけだが、「親―子」の縦軸だけでなく「妻―夫」の横軸も加味されて物語が展開する。通常であれば、ひきこもりは「社会から隔絶された核家族」内で起きる問題であり、どれだけ外(ならびに医療従事者)と接続できるかが課題となるので、関わる人数が増えるほど問題解決に向けて有利になるはずだが、関係者のあいだで意思疎通が図られていなければ「船頭多くして船山にのぼる」状態に陥る。「父」と「中川(夫)」の温度差が徐々に浮き彫りになっていく様が「#39」の見どころだ。
この船が山に向かっている段階なのか、もう山にのぼってしまったのか。ちょうどいいところで9巻以降へのクリフハンガー(引き)となっており、「#38」のアバン(冒頭)が思い出され、モヤモヤを搔き立ててくれる。

マンガ表現の持つ力

この8巻で驚いたのは「#35:【ケース14】カラカラになって相談にくる人たち①」P.34~35の見開きだ。見開き黒ベタに、「もう……」「何もかもだめじゃん……」の2つのフキダシのみ。相談当事者の絶望的な心境――実際には相談当事者が感じているほどには絶望的な状況ではないのだが――、すなわち「心の余裕のなさ」を的確に表現している。だけど、これをやるのは勇気がいる。このネームを通した作者と編集に拍手を送りたい。

あと、個人的に「おおっ」と思った個所としては、P.109で挿入される何気ない風景カット。おそらく新宿のホテル「●ンライト」がモデルだと思うが、コマの左側にある看板広告に借り手がつかず、「貸広告」の表示と連絡先の電話番号が掲示されていることからも、世間の景気の悪さが伝わってくる。「金」がテーマのエピソードなればこそ、このカットは効果的だ。読者はあまり意識せずに読み飛ばしているかもしれないが、こうした何気ないカットに込められたメッセージは、無意識のうちに読者の内面にサブリミナル的に蓄積されていく。
マンガは映像とは異なり、何かが偶然に紙面に映り込むことはない。作者が意図したものだけが紙面に描かれ、読者に(意識下にせよ無意識化にせよ)何がしかの影響を与える。アシスタントが描いたにせよ、作者や編集者が許可したものだけが紙面に残る。本筋とは関係のなさそうな場所にも細かい作業を積み重ねることで、本筋のテーマを補強できるのがマンガというメディアである。それは作者が「マンガの力」を信じていればこそだ。作者が無意識に描いたとしても、テーマの咀嚼力が、その広告を題材として選び取らせたので、決して偶然の産物ではない。


本当にたいへんだった1年が、終わろうとしている。
困っていない人など、ひとりもいない。
せめて来年は、もう少しよい年になってほしい。誰にとっても。
よいお年を。