歴史マンガの全盛期
歴女(レキジョ)という言葉が定着してから久しい。もともとはゲーム『戦国BASARA』(カプコン)や『戦国無双』(コーエーテクモゲームス)に代表されるように、歴史上の人物をキャラクター化し、キャラへの愛着を抱く新興の歴史ファン層を意味するような言葉だったが、現在ではゲームやマンガに限らず、大河ドラマや観光地巡り(聖地巡礼)を楽しむ人々を含む広義の意味合いで用いられているようだ。
歴女の誕生によってにわかに歴史ファンが拡大したかのように錯覚しがちだが、もともと歴史ファンの潜在的な人口は多い。
僕も織田信長が登場するマンガだけを批評する同人誌を制作し、これまでコミケで300部は頒布してきたので、いわゆる歴史ファンとの接点は持っているつもりだ。
そうなると、たびたび聞かれることがある。
「オススメの歴史マンガってなんですか?」
ここで言う“歴史マンガ”とは、おもに戦国時代を題材にしたマンガを指す。
現在、歴史ブームにあやかって、数多くの歴史マンガが存在する。おそらくマンガ史上、もっとも歴史マンガがあふれている時代ともいえるだろう。事実、秀作も数多い。
だが、先の問いに答えるのは容易ではない。
それはなぜか。
歴史マンガを薦めることの難しさ
歴史マンガは、読み手のリテラシーに依拠する部分が大きい。既知の出来事を物語として再編するとはいっても、その結末が変わるわけではない。未知の物語を新規に楽しむのとは、少し趣が異なる。ある意味では、悲劇と知っていながら観るギリシア悲劇(『オイディプス王』など)と性質的には近い。
そのため歴史マンガは、読み手がどこまでの歴史知識を有しているのかが重要なポイントとなってくる。これが『キングダム』(原泰久)のように、日本のマンガ読者にはなじみの薄い春秋戦国時代が舞台であれば、読者層(および読者の歴史知識)を想定しやすい。
しかし戦国時代の場合は、読者によってあまりに歴史知識に偏りがある。詳しい人はめちゃくちゃ詳しいし、興味がない人はサッパリ。しかも、それは年齢によって分けられるものでもない。年配だから詳しいとは限らないし、若くても史学科に通う学生はべらぼうに精通している。だから掲載誌のターゲットとする読者層も、アテにはならない。
マニアに向けて描いて一般読者にソッポを向かれることもあれば、一般向けに描いてマニアから横槍が入って炎上することだってあり得る。
そしてマンガを薦める側からしても、相手がどの程度の歴史リテラシーを持っているのかがわからないと、その人に適したマンガをおススメすることは難しいのだ。
“通説”って、なに?
また、歴史は「すでに起きた事実」であって不変のものと思われていて、意外と変動する。最近の例でいえば、徳川家康の幼少期にも新説が持ち上がっているのだ。三河の松平広忠の嫡男として生まれた家康は、幼名を竹千代といった。尾張の織田信秀から攻撃を受けた松平広忠は、駿河の今川義元に援軍を要請。その際に広忠は竹千代を人質に差し出した。しかし、駿河へと移動する途上、護送役が裏切って、竹千代を織田家へと送り届けてしまったのである。
康光(※注:戸田康光。田原城主、竹千代護送役)はその子五郎政直と申し合わせ、供の人びとを欺いて、船に乗せて尾張熱田に送り、織田信秀に渡した(『現代語訳 徳川実記 家康公伝1 関ヶ原の勝利』吉川弘文館)その後、織田家の安城城が今川家に攻略され、織田信広(信長の異腹兄)が今川家に捕縛されると、信広と竹千代の人質交換が行われ、竹千代は織田家から今川家へと移送される。
これが通説だ。
しかし、2014年、中京大学の村岡幹生教授はこれに異説を唱えた。
村岡教授は「愛知県史資料編14」で、戸田康光の裏切りがなかった、と家康誘拐説に疑義を呈したのである。村岡教授が典拠とした史料は法華宗の僧・日覚が記した「菩提心院日覚書状」。織田信秀が三河を攻略し、竹千代を直接人質にした可能性があることを指摘した。
この21世紀になって、それまで400年以上信じられてきた通説が、覆るかもしれないのだ。
心ある作家は、このように新事実が発見されるたびに、フィクションに新説を採用していく。伊勢湾台風(1959年)の際に『武功夜話』が発見されたときは、遠藤周作をはじめ、多くの作家がこの史料を題材に歴史小説を書いた。「通説とは異なる」喜びを読者に提供してくれたが、現在では『武功夜話』は信ぴょう性が疑われている。一度覆った通説が、また裏返ったわけだ。
つまり歴史マンガは、読者の歴史リテラシーに依拠する性質でありながら、誰もが共有知として持ちうるべき通説が二転三転してしまう、という難しさもはらんでいる。
横山光輝の『豊臣秀吉』がオススメ!
とはいえ、歴史マンガは歴史を勉強するための教材ではない。だから上記のことを踏まえ、
①読者が虚構性を感じ取れる(歴史を題材にしているがフィクションと分かる)
②それでいて歴史のおおまかな流れは理解できる
③なによりも物語として面白い
の3点を満たす作品を、歴史マンガのファーストチョイスとしてオススメしたい。
それが『豊臣秀吉 -異本太閤記-』(横山光輝)だ。
横山光輝といえば現在でも『三国志』が愛読されているが、その『三国志』の終了後、講談社で日本の戦国武将を題材にした歴史作品を次々と描き下ろしていった。『徳川家康』『織田信長』『武田信玄』『武田勝頼』と描き、そして1989年からスタートしたのが『豊臣秀吉』である。
『武田信玄』および続編の『武田勝頼』以外は、すべて山岡荘八の歴史小説を原作としている。したがって『豊臣秀吉』は、横山光輝御大に歴史小説をコミカライズするノウハウが最大限に蓄積されたタイミングで描かれた作品といえるだろう。
なにしろテンポがいい。
秀吉の出世物語を縦軸として、彼の軍師的な存在(蜂須賀小六、竹中半兵衛、黒田官兵衛)との軽妙なかけあいでストーリーがポンポンと展開していく。そのこなれた手際の良さに舌を巻くだろう(③が保証される)。
秀吉は相方を蜂須賀小六、竹中半兵衛、黒田官兵衛と変えていくが、どのカップリングが最萌かも論じたいところだが、いずれにせよこの秀吉×相方の会話劇のリズムが素晴らしく、秀吉のペテン師的な虚構性を浮き彫りにする。そのため、作中で語られる虚実ないまぜの“通説”を、読者は眉に唾をしながら読むことができるのだ(①が担保される)。
それにくわえて、秀吉が織田信長に仕えてからの史実は、戦国時代が一気に終息に向かうパラダイムなので、彼の半生を追うことで戦国時代のおおまかな流れを理解することもできる(②を満たす)。
以上が『豊臣秀吉 -異本太閤記-』を、もっともオススメの歴史マンガに挙げる理由である。
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