あらためて『トネガワ』の真価を問う

『中間管理録トネガワ』は、「このマンガがすごい! 2017」のオトコ編で第1位に選ばれた作品である。同ランキングでスピンオフ作が1位になるのは初めてのことで、この結果は、マンガ好きのあいだでは驚きを持って迎えられた。
言葉を選ばずに言えば「出オチ」感を抱いた人も多かったはずだ。
ただ、作品の感想に目を移せば、「つまらない」と否定的な意見を述べる人は多くない。「面白いのは確か(だが1位かは疑問)」とか「あれは反則(福本キャラを使ったギャグはズルい)」とか、一定以上の評価を得ているのは確かだ。
オトコ編1位が発表された当初はネタとして消費された感はあったが、その後も4巻、5巻と続刊がリリースされた今、あらためて本作の“ギャグマンガとしての質”に言及したい。


ギャグの質を決定づけるのはリズムとテンポ

ギャグの質はどこで決まるのか。
マンガに限った話ではなく、舞台や演芸、ドラマなど全般に言えることだが、わかりやすいところではキャラとギャグだろう。
しかし、それにもまして重要なのがリズムとテンポだ。いわゆる「間」というのもここに含まれる。普通の言葉であっても、言い方次第ではギャグになるわけで、それは演者の個性(=キャラ)に依るところも大きいが、「言い方」という点においてはリズムとテンポに集約される。

では、マンガにおけるリズムとテンポとは、何を意味するのか。
それはコマ運びだ。
マンガは読者が自分のリズムで読み進めていくものだが、そのペースはページ構成やコマ割りによって、作者にコントロールされている。作者の意図が介在しているのだ。
当たり前のことを大仰に言い、しかもそこに真理があるかのように説得力を持たせるのは、福本マンガの真骨頂といえるだろう。「金は命より重い‥‥!」(『賭博黙示録カイジ』の利根川)などは、その典型的なケースとして挙げられるが、そういった決めフレーズをどのタイミングで出せばもっとも読者の心に響くのか、効果的なのかを計算して、作者はネームを切る。
そうした「誇大する力」は福本マンガの最大の特徴であり、“福本節”とも称される。
そして福本節は、時に「盛りすぎ」に映り、ギャグのように受け取られてしまうこともある。それを逆手にとって、自覚的にギャグとして活かしたのが『最強伝説 黒沢』だ。
リズムとテンポという点において、福本伸行は同時代でも抜きん出た才能の持ち主である。


『トネガワ』作中における福本節の例

では『中間管理録トネガワ』はどうか。
福本は「このマンガがすごい! 2017」に「僕は、承諾以外、何もしてない」「時々、読み切りを描き、援護射撃(?)をするくらいでまったく、作品には、関わっていません」と寄稿している。
また、原作者の萩原天晴はネーム原作(原作者がネームを切る)なので、『トネガワ』におけるリズムとテンポは萩原のセンスによるものと考えていい。
そして萩原のネームは、連載開始当初はけっしてオリジナルのものではなく、明らかに福本文脈をなぞっていることがわかる。その代表例を以下に見ていこう。

まずは右ページに天地ぶち抜きでネームを置く手法だ。
福本マンガではおなじみの、ページをめくった最初にキラーワードを放り込んでくる手法だが、『トネガワ』では第5巻までのあいだで合計5回使用されている。
  例1:第7話「立直」(1巻)の「大人の判断‥‥!」
  例2:第11話「発表」(2巻)の「満たしていない‥! 何一つ‥!」
  例3:番外編「出張」(2巻)の「ちょっとした旅行気分でいる‥‥!」
  例4:第23話「接待」(3巻)の「店長 一条による悪魔的接待が‥‥!」
  例5:第26話「唯塩」(4巻)の「似非‥‥! 似て非なるもの‥‥!」
5巻での使用例はない。

次に見開きの上段を左右にぶち抜くスタイルのコマ割りだ。
上段でシーンの全景を見せつつ、下段で各人の会話を展開していく際に用いられるパターンであり、ページをめくって最初に飛び込んでくる絵のインパクトを維持しつつ、「俯瞰→各論」といった流れを構成している。このコマ割りを用いているページは以下の通り。
  1巻:3カ所
  2巻:7カ所
  3巻:5カ所
  4巻:1カ所
  5巻:0

そして福本節の特徴として誰もが思い浮かべるであろう、「ざわ‥」の描き文字。「ざわ‥」の巻ごとの使用回数を調べてみた。
  1巻:40回
  2巻:49回
  3巻:40回
  4巻:36回
  5巻:12回
(※上記の統計は、いずれも福本伸行の読み切り短編でのものは含まない)

福本マンガのパロディとしてスタートした『トネガワ』は、絵柄だけでなく、その文脈をもトレースすることで、本家以上に福本マンガらしい特性を備えていた。
しかし、それは誰もができることではない。リズムとテンポの面では当代一流の作家(福本伸行)の手法を自覚的に再現できる萩原もまた、ギャグマンガの分野において天性の資質を有していると考えるべきだ。


キャラの爆発力

僕はこうしたスピンオフ作は、かなり好意的に受け止めている。
そもそもギャグマンガは、ストーリーマンガに比して短命な傾向にある。ストーリー、ギャグ、キャラ、リズムとテンポと、1作品に要求される要素が多すぎるから、作家の消耗が激しいのがその原因ではないかと思っているのだが、そのすべての要件を満たすまで作品が成立しないのだとしたら、あまりに狭き門だ。ギャグマンガを志向する作家が減ってしまうことも危惧される。
萩原のように才能ある作家が、たとえばキャラが弱いとか、キラーフレーズがないとかの理由で、なかなか世に認められないのだとしたら、それはあまりに機会を損失している。
萩原のデビュー作『さぼリーマン 飴谷甘太朗』(作画:アビディ井上、7月13日からテレビ東京系列で実写ドラマ化)を見てもわかるように、萩原にはギャグマンガを成立させる実力があるのは確かだが、ギャグ作家が才能を発揮できる場は、もっと多くていいはずだ。
アメコミでは同一作品・キャラクターを複数の作家が描くように、福本マンガのスピンオフで才能を披露する道があったのは、彼にとっても、われわれ読者にとっても僥倖といえるのではないだろうか。

そうして『トネガワ』を連載していくなかで、「まさやん」というオリジナルキャラを生み出した点も評価したい。
ギャグマンガにはキャラが重要だが、あまりにブッ飛んだキャラを揃えればいいかというと、そうではない。それではただの頭のおかしい作品にしかならない。徐々にキャラ同士の掛け合いがエスカレートしていき、ある閾値を超えたところで、爆発力のあるキャラが誕生する。これが理想だ。
東村アキコの『ひまわりっ ~健一レジェンド~』を例にするなら、それまで健一(父)や副主任といった濃いキャラは出てきていたが、そうした地ならしがあればこそ、読者はウイング関先生というエキセントリックなキャラを受容することができた。作品の冒頭からウイング関先生が出てきた場合、果たして読者が受け止めきれたかは、はなはだ疑問だ。
そしてウイング関先生の爆発的な推進力を得て、あの作品はまたひとつ違った次元へと駆け上がっていったのである。
『トネガワ』の「まさやん」は、ウイング関先生クラスの爆発力を秘めていた。
ここに到り、萩原は「キャラを生み出す力」もあることを証明したのだ。
縦横無尽に暴発する「まさやん」を見て、作中の黒服が「まさやん」に感じたのと同様の感想を抱いた読者もいたかもしれない。
「超えてしまったかもしれませんよ‥‥‥‥‥‥! 本物(オリジナル)を!」と。


『トネガワ』の路線変更は難事業

しかし、最新5巻になると、『トネガワ』は明らかに路線変更をしている。
作中で扱うネタは、『カイジ』作中で語られた出来事(限定じゃんけん、焼き土下座、エスポワール)の『プロジェクトX』的な固有性の高い裏話より、上司(会長)と部下(オリジナルキャラ)のあいだで苦悩する中間管理職(トネガワ)の悲哀、という普遍的なエピソードの占める割合が高くなっている。5巻に登場する人事異動、セクハラと社内恋愛、企業のSNS(「中の人」問題)などは、帝愛(=『カイジ』世界)でなくとも成立しうるエピソードばかりだ。
また、上述したデータを見れば、巻を追うごとに福本節を抑制してきていることもわかる。
意図的かどうかはさておき、原作者の萩原は福本文脈からの脱却を図っているのだ。
これは大きな冒険である。
なにしろ作品の根幹部分(ギャグマンガとしての質)を変容させているのだから、いわゆる“テコ入れ”(美少女キャラ投入、バトル路線への変更)よりもはるかに難易度の高いことに着手しているといえるだろう。
「福本マンガのパロディ」としての爆発力や、「まさやん」の爆発力を味わってしまった読者が、同作の路線変更を受容しうるかどうかについては、もうしばらく注視したい。

だが、この難事業をソフトランディングさせるだけの手腕があると、僕は信じている。