時代を象徴する作品

『弟の夫』が完結した。
本作の物語は、小学生の娘とふたり暮らしをしているシングルファーザーの主人公・弥一のもとに、双子の弟(故人)の結婚相手であるカナダ人男性・マイクが訪れてくるところから始まる。ホームドラマをベースにセクシャル・マイノリティを題材にしており、最終4巻のカバーイラストは“家族”になった3人が虹(LGBTプライドのシンボルは虹のマーク)を見上げるという、本作の内容を端的に示す感動的なものとなっている。
作者の田亀源五郎先生には2016年に「このマンガがすごい!WEB」でインタビューをさせていただいた(前編後編)。

連載中、とにかくLGBTを取り巻く環境が大きく様変わりしたので、時代のシンボル的な存在としても記憶にとどめたい作品になった。
まず単行本1巻の発売直前には、アイルランドで同性婚が合法化。さらに発売直後には、アメリカの連邦最高裁で全州での同性婚を認める判決が出た。日本では渋谷区や世田谷区などで同性パートナーシップ条例が成立し、世界的にLGBTを受容する流れになってきたかと思いきや、ドナルド・トランプが大統領選挙を戦う最中からダイバーシティ(多様性)に対して公然と異を唱える者が増加し、トランプ政権は反マイノリティを標榜する人材を数多く閣僚に登用した。ハーヴェイ・ミルクが(カミングアウトした)ゲイとして初めてアメリカ合衆国の公職に選出されてからちょうど40年目を迎える節目の年に、ゲイ・プライドでは反トランプ政権が声高に叫ばれた。たった2年のあいだに、これだけの出来事が起きている。
時流の変化が急激すぎて何が争点になっているのかさえ理解できない、そんな人がいてもおかしくはないほどだ。

主人公に非当事者を設定した試み

『弟の夫』の特徴は、主人公の弥一がLGBT当事者ではないところだ。
LGBTを扱った作品の場合、主人公が当事者であり、自身がそれを受容していく様子が物語となりやすい。『放浪息子』(志村貴子)などがその代表例だ。あるいは当事者のエッセイコミックも数多く出版されている。
しかし本作『弟の夫』の場合、ヘテロ(異性愛者)の弥一のもとにゲイのマイクが訪れ、ヘテロの目線を通じて描かれていく。ヘテロの読者にとっては、弥一からの視点は共有しやすい。それでいて双子の弟という、“ありえたかもしれない、もうひとりの自分”(自分と立場を置き換えやすい他者)をLGBT当事者に設定することで、何の気なしに手に取った読者さえいつのまにかLGBT問題に目を向けていくような、“意識づけ”が施されている。その設定の妙味は、非常に押しつけがましくなく、「ヘテロ(異性愛者)向けのゲイコミック」を志した作者ならではの巧妙な仕掛けであった。

LGBT非当事者の弥一は、マイクとの交流と、自身の“気づき”によって、徐々にセクシャル・マイノリティへの理解を深めていく。この“気づき”の部分が丁寧に描かれていることが重要だ。
というのも、弥一はマイクとの出会いによってセクシャル・マイノリティへの理解を深めていくわけだが、それだけでは「当事者と出会えなければ理解を深めることができないのだろうか?」という問題に行き当ってしまう。それは「周囲に当事者がいないから理解できません」との回答を肯定することになってしまう。マイクとの出会いは確かに大きなきっかけになっているが、あくまで弥一自身がそのことに意識を向け、日常の些事から問題を感じ取り、考えることで、理解の深度を深めていっている。
このプロセスは、なにもLGBTの問題に限った話ではない。人種や貧困、ありとあらゆる問題に通底しており、「経験者だけが語れる」という偏狭な実証主義を乗り越えていける理性主義的な態度だ。つまり本作は、人間は意識ひとつで変わることができることを高らかに歌った人間賛歌でもある。

描写の正確性が可能にするマンガ表現

さて、LGBT問題を扱う作品というと、どこか説明くさいイメージを抱きがちだが、本作ではネームでの説明や解説は極限まで削ぎ落されている。活字で語るより雄弁なマンガ表現が用いられているので、そこを指摘しておきたい。

本作はホームドラマであるがゆえに、炊事、洗濯、掃除といった淡々とした日常風景のディテール(とりわけ食事シーン)が丁寧に描かれる。そして豊富な風景描写の中に、登場人物の心情をオーバーラップさせる手法が効果的に使われているのだ。
たとえば第10話「カレー」(2巻収録)のラスト。ユキちゃん(娘の友人)のママに対して疑念を抱く弥一のあと、エピソードのラストにはぐつぐつと煮えているカレー鍋が挿入される。弥一の志向が煮詰まっていく感じを、カレーの煮え方に重ね合わせている。
あるいは第17話「わさびアイス」(3巻収録)で、旅館でまんじりともしない弥一が、時計の音を聞きながら不在の布団を見つめるシーン。1ページ丸々使って、誰も寝ていない布団を描き、読者はそこにさまざまな思いを想起する

構図の使い方も面白い。
弥一とマイクは、ハグに始まってハグで別れるが、その構図は最初(第1話「黒船がやって来た!」1巻収録)とラスト(最終話「ありがとう」4巻収録)で同じであり、われわれ読者はその間(3週間)に起きた出来事を思い返し、一瞬のうちに感慨に浸ることができる。
また、弥一が本音と建て前を使い分けるコマ(例:第1話で男性同士の結婚について娘の夏菜に説明するくだり)も本作の特徴だが、第1話時点では「セクシャル・マイノリティに対する否定的な意見」が本音であったのに対し、夏菜の担任と面談(第24話「肉団子鍋」4巻収録)ではそれが反転している。同じ構図を別の用途に使い分け、そこに描かれている以上のものを読者に伝える異化効果を生じさせているのだ。

こうした映像的な表現は構成力の賜物だが、描写が正確だからこそ可能な芸当でもある。

ホームドラマとしての達成度

LGBTの問題を扱った作品として注目を集めた一方で、『弟の夫』はホームドラマとしても現代らしい帰結を見ている。弥一とかつての配偶者・夏樹との関係は、かつての文脈であれば古典落語「子別れ」のように復縁へと行きつくのが定石だが、既存の形をゴールとせず、自分たちなりの家族の形を示した。そして家族という身近で理解しやすい要素を、“多様性”そのものへの理解の起点としていっている。
そして遺族への祈り。僕はつねづね思うのだが、遺された人間にできることは、故人の人生に幸福な瞬間が確かにあったと祈ることしかない。死は不意に訪れるものだけど、その最期の瞬間だけを切り取って自分の身内を「かわいそうな人間だった」とは思いたくないのが人情である。
また、どのタイミングで故人と別れたとしても、せめてもう一度くらい、と遺された側には後悔が残るものだ。そうした気持ちに折り合いをつけるタームが描けているので、ホームドラマとして欠くべからざる要素を満たしており、ホームドラマというジャンル・ストーリーとしても高い水準をクリアしていると思う。
わずか4巻のなかにこれだけの要素を入れ、詰め込みすぎな印象を与えないのは、本当に驚くべき手腕である。

静かなマーチ

作者の田亀源五郎先生は、ゲイをカミングアウトしている。
したがって彼の描く主人公・弥一には、LGBT当事者が「こうあって欲しい」と願う非当事者の理想的な姿が、少なからず仮託されているように思う。
「LGBTに対する理解に、人によって差があるのは仕方がない。ただ、問題に目を向けてほしい。一緒に考えてほしい。その過程で、過ちもあるはずだ。その場合は、意固地にならず、謝罪する勇気を持ってほしい。LGBT当事者の側も、謝罪を容認する寛容性を持つべきだ」と。
そうした寛容さが本作に優しさを備えさせている。しかし、それはパレードの喧騒ではないものの、静かなマーチである。厳かなプロテストの姿勢だと感じた。

テニスやバレーボールで相手が打つボールを待ち構えるとき、人はもっともニュートラルなフォームをする。どちらにも動けるような、柔軟性のあるフォームだ。
LGBTについて語るとき、立ち返るべきニュートラルなフォームを自分の中に定めるにはどうすればいいか。
僕はそれを『弟の夫』に求めたい。