2017年度の賞レースの本命作品

昨年の11月に1・2巻が同時に発売されると、2017年度の賞レースでは早くも本命視されているのが『レイリ』だ。『寄生獣』や『ヒストリエ』の作者である岩明均がはじめて原作を手がけるということで、連載前から話題になっていたが、ふたを開けてみれば、予想以上の傑作であった。「このマンガがすごい!WEB」の1月のオトコ編ランキングでは1位に選出されている。

『レイリ』は戦国時代末期の武田家を舞台にした時代劇マンガだ。
主人公のレイリは農家の娘であった。しかし、天正三(1575)年、長篠の戦いで勝利した織田・徳川軍が、配送する武田軍を追撃。追首を狙った雑兵によって、レイリの家族は惨殺されてしまう。茫然自失となるレイリを救ったのは、武田の将・岡部丹波守(元信)であった。
九死に一生を得て小山城で暮らすレイリは、ひたすらに剣術の腕を磨く。しかし、それは「復讐」が目的というよりは、「殺して、殺しまくって! 最後はちゃんと死にますから!!」という台詞に象徴されるような、後ろ向きな「死にたがり」の衝動によるものであった。
あるとき、レイリは武田の重臣・土屋惣三(昌恒、岡部元信の娘婿)に見初められ、甲府へと連れていかれる。レイリの外見が、武田勝頼の嫡男・信勝とそっくりであったからだ。
かくしてレイリは信勝の影武者となっていくのであった。

最新3巻での時代設定は、天正八(1580)年。高天神城の戦い(第二次)が始まろうとしている。翌天正九(1581)年、この高天神城の戦いでレイリの保護者であった岡部元信は討死する。また、天正十(1582)年には、織田信長の甲州征伐により、武田信勝、土屋昌恒は天目山で自害。武田家は滅亡する。天目山では影武者であるレイリが死ぬのか、あるいは信勝が死ぬ(=レイリの任務失敗)のか、いずれにせよ本作のラストは悲劇でしかない。
つまり『レイリ』は、「予告された悲劇の記録」に向かうプレリュードであり、武田滅亡までのタイムサスペンスとしての側面を持つ作品なのである。

ヒットする歴史マンガの法則

史実を題材にした歴史マンガは、近年でこそヒット作品が出ているが、かつてはヒットしにくい題材であった。少し長くなるが、手塚治虫の歴史マンガに対する知見を引用したい。
現代でもやっぱり、武田信玄や伊達政宗に代表される歴史上のエリート、巨人を主人公にすえたドラマを喜んで見る人たちね。あれは日本人のもっている古い体質、征服者、侵略者にあこがれるという体質、これを無意識にもっている人が多いんじゃないか、そういう人がまだ日本人のほとんどじゃないかといったような気がするんですよ。ぼくなんか見てて全然おもしろくないね、はっきりいうと。でも見ているけど、それはドラマツルギーが大河ドラマだから、どういう脇役が出てきて、どう死ぬかというようなことが好きだからあれを見ているんであってね。
『武田信玄』をいろんな漫画家が漫画に描いてますね、NHKでやるということで。ああいうのはいやだね、ぼくはね(笑)。あれだったら、武田信玄の部下にいた武将の、さらに下にいた下っぱあたりが、どういうふうに犬死していったかというようなことを、ぼくは描きたいね。その連中から見た武田信玄の話をね。だけど、そういうのはどこも出してくれないですな(笑)。
(『漫画の奥義  ‐作り手からの漫画論‐』手塚治虫、聞き手:石子順)
これは手塚が亡くなる前年(1988年)のインタビューである。
少し説明を補足すると、昭和62(1987)年、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(原作:山岡荘八)は最高視聴率47.8%、平均視聴率39.7%を記録。翌年の昭和63(1988)年には『武田信玄』(原作:新田次郎)は最高視聴率49.2%、平均視聴率39.2%をマークし、戦国時代ブームが起きていた。
手塚が「『武田信玄』をいろんな漫画家が漫画に描いてますね」と言っているのは、新田次郎の原作をもとに、さいとう・たかを横山光輝がそれぞれマンガを描いていることを指しているものと思われる。手塚はライバル作家への嫉妬や敵愾心を創作のエネルギーに昇華してきた作家なので、そのあたりは承知して上記の引用文を読んでほしい。
なお、「あれだったら、武田信玄の部下にいた武将の、さらに下にいた下っぱあたりが、どういうふうに犬死していったかというようなことを、ぼくは描きたいね」という歴史マンガに対する手塚のスタンスは、源平合戦を題材にした『火の鳥 乱世編』を読むと、うなづく点が多い。主人公・木こりの弁太(=弁慶)やヒョウタンカブリから見た源義経が、まさにそれだ。

昭和末期には、世間的には現在と比べ物にならないほど戦国歴史ブームが訪れたにもかかわらず、それこそマンガ史に名を残すような大ヒット作はついに誕生しなかった。為政者(大名)の立場から大河を描くマンガ作品は敬遠されるようになり、やがて無名の個人にスポットを当てた作品が出てくるようになる。その嚆矢となったのが、前田利益を主人公にした『花の慶次 -雲のかなたに-』だ。史料性に乏しく、一般的な知名度は皆無に等しかったが、本作により前田慶次の名は一躍全国区となった。
センゴク』(主人公は千石秀久)、『へうげもの』(主人公は古田織部)、和田竜の小説『のぼうの城』(主人公は成田長親)などのヒット作も、一般知名度の低い人物を主人公にした作品だ。
いまヒットしている歴史作品は、いみじくも手塚が「ぼくは描きたいね」と語った種類のものであり、あらためて“神様”手塚の慧眼に恐れ入る。
そして『レイリ』もまた、「○○の部下にいた武将の、さらに下にいた下っぱあたりが、どういうふうに犬死していったかというようなこと」の物語である。ある意味で『レイリ』は、歴史マンガとしてはヒットしやすい、正調な物語構造をもった作品といえるだろう。

構成と描写が生み出す「見る楽しみ」

本作の最大の特徴は、なんといっても岩明均が原作である点だ。
原作にはさまざまなパターンがあり、活字だけであったり、脚本の状態にしたり、あるいはネーム(ラフ)に起こす場合などがある。ネームとは、コマ割と人物配置、台詞を記したマンガの設計図のようなものであり、通常は「ネーム→担当者との打ち合わせ→下絵→ペン入れ→仕上げ→完成」といった手順を踏むケースが多い。
本作は岩明によるネーム原作ではないかと思うほど、岩明作品のようなコマ割や構図がある。首のない家族が囲炉裏を囲むシーン(第6話「出立」2巻収録)は、その唐突な驚きをもたらすための、そのコマにいたるまでの構成やコマ運びに、いかにも岩明作品らしさを感じさせる。

そうした大筋での「岩明作品」らしさを感じさせつつも、細部では作画の室井大資による描写の確かさも光る。とくに表情のつけ方が多彩で、それでいて大げさではない点が好ましい。作品全体を通じて、暗い目をした少女(レイリ)という、難しい表情をベースに喜怒哀楽を上乗せしているところがすばらしい。感情の機微をうまく表現できているので、画面に賑やかし要素がなくても絵が成立しているのだ。

描写の確かさは、ふとした所作にも顕著である。
レイリ以外にも2人の影武者候補が登場するが、3人の影武者候補と信勝の差異を表現するためには、外見以外のところでの「似ている部分」と、反対に「似ていない部分」を描写する必要がある。ふとした所作、演技でいうところの生活芝居のうまさが随所に光っており、そしてまた所作から伝わる感情の流れに目を奪われる。

個人的には、レイリの殺陣シーンに面白さを感じた。信勝暗殺をたくらむ刺客が襲撃してきて、それをレイリが撃退する回(第12話「襲撃・再」3巻収録)を例として挙げたい。
レイリは刺客の胴体に刀を突き刺すが、そこで手首を返して刺し傷にひねりをくわえている(3巻92ページ)。胴体に突き刺した刀に曲線の効果線を描き添え、書き文字で小さく「くる」と書いてあるので、ひねりをくわえていることがわかるだろう。これは刺突で致命傷を与えるための方法であり、このちょっとした工夫だけで、レイリが手練れであることがわかる。こうした細かな描写をさりげなく積み重ねているので、作品全体から表現の豊かさが伝わってくるのだ。

構図の大胆さ(岩明らしさ)、描写の確かさ(室井らしさ)の融合が、何を置いても「絵を見る楽しみ」というマンガの魅力を担保しているところが、この作品に大きな魅力を生み出しているのである。