食マンガの源流は、料理を「作る」マンガ

あいかわらず食マンガのブームが続いている。
どのマンガ誌にも1本は、食をテーマにしたマンガが掲載されているほどだ。2012年にテレビ東京系列で実写ドラマ化された『孤独のグルメ』(2017年時点でseason6まで放映)が人気を博したのが、直近のブームの火付け役ではないかと思われる。「飯テロ」の流行語も生まれたが、なぜ食マンガはこれほどまでに支持されるようになったのだろうか。

もともと食マンガといえば、『包丁人味平』(1973年)に代表されるように、料理人を主人公にした料理バトルマンガが主流であった。『ミスター味っ子』(1986年)『中華一番!』(1995年)と、少年誌では定期的に連載作品があり、その系譜は現在では『食戟のソーマ』(2012年)へと引き継がれている。

また、青年誌においては、“職業マンガ”の流れの中で料理人(および職人)にスポットを当てた食マンガも生まれた。『美味しんぼ』(1983年)、『味いちもんめ』(1987年)、『夏子の酒』(1988年)、『築地魚河岸三代目』(2000年)、『ラーメン発見伝』(2000年)、『バンビーノ!』(2005年)などがその類例として挙げられる。

つまり食マンガとは、もともとは料理のプロを題材としたジャンルであった。広義では料理を「作る」マンガと言っていい。

「美食(ハレ)」から「常食(ケ)」へ

こうした流れに別の路線を生んだのが『孤独のグルメ』(1994年)であった。
『孤独のグルメ』の主人公・井之頭五郎は輸入雑貨商であり、食に関しては一般人だ。「普通の人が日常的に食事をとる」という題材がマンガとして成立しうることを証明し、これが現在の一大潮流の「食べる」マンガの祖となった。

また、「作る」から「食べる」へのシフトにともない、扱う料理の種類にも変化が訪れる。バブル期には美食(グルメ)が主流であったのに対し、バブル崩壊後の『孤独のグルメ』以降の食マンガは、決して美食とは言えない日常的な食事(あるいはB級グルメ)も題材にするようになった。『深夜食堂』(2006年)、『花のズボラ飯』(2009年)、『甘々と稲妻』(2013年)などは、その代表例だ。
美食から常食へ。
つまり食マンガにおける食事は「ハレ」から「ケ」へと変化したのである。

やがて「常食」を題材にしたマンガは、「日常風景の中の食事」という性質を強めていく。その究極系は『きのう何食べた?』(2007年)だろう。
毎回、レシピや料理の段取りが描かれていくが、料理によって何かを解決したり、料理(食材)と各話のテーマに整合性があるわけではない。作中に「料理作りは無心になれるから、イヤなことリセットできる」(第8話)とのセリフがあるように、この作品における料理シーンは、日常シークエンスとは切り離されたパートとして屹立している。まさに「暮らしの中の料理(や食事)」であり、読者はそこに日常のリアリティを感じるのだ。
同じく「モーニング」で連載している『クッキングパパ』(1985年)は、たとえば「料理によって夏バテ解消」といったように、料理と各話のテーマの整合性を取っているので、両作品を比較して読めばその相違は一目瞭然だ。

食マンガは「想食」の時代へ

当然のことながら、マンガでは味覚を伝えることはできない。いきおいマンガにおける味覚表現は、食べた人間のリアクション芸となりやすい。
『ミスター味っ子』『焼きたて!!ジャぱん』(2002年)『食戟のソーマ』は、少年マンガであるがゆえ、そうした“わかりやすい”表現を追求している。

食マンガにおける食事者のリアクションは、「実際には食べることができないもの(=絵)の味覚を読者に伝える表現手段」にほかならない。そしてそれは、作中の人物が食べていなくても成立しうるわけだ。
そこに着目したのが『極道めし』(2006年)であり、『めしばな刑事タチバナ』(2010年)である。これらの作品では、作中の人物は、過去に自分が食べたものを語るだけで、作中で実際に食べない(食べられない)。
ある意味では食マンガのエクストリーム進化系といえる。なにしろ「読者が食べられないのに、味覚を疑似体験させる」という、食マンガの根幹に迫っているわけだから。

ここに到り、食マンガは「食べられないもの」も題材にしうることを見つけた。その「食べられないもの」は、「存在しないもの」へと解釈を拡大する。
それが空想上のファンタジー世界を舞台とした『トリコ』(2008年)や『ダンジョン飯』(2014年)を生み出す土壌となった。
冒険、狩猟、食事を軸とし、その中で食事に関しては「宝石の肉(ジュエルミート)」や「レッドドラゴンの肉」など、現実には存在しない食材が題材となる。
つまり食マンガは、「美食」から「常食」を経て「想食」(空想上の料理)へと進化したのだ。

文化水準の高い『空挺ドラゴンズ』の世界

『空挺ドラゴンズ』(2016年)は、こうした食マンガの文脈のなかから出てきた。
本作の舞台は、飛空艇で龍を追い、世界中の空を往く捕龍船が存在する世界。主人公ミカは、捕龍船「クイン・ザザ号」に乗船し、龍を獲って生活する「龍(おろち)捕り」を生業とする。いわば捕鯨船のドラゴン版であり、一攫千金や希少な龍を食べることを目的としたファンタジー冒険物語だ。

RPG風のファンタジー世界を舞台にした食マンガという点では、前述の『トリコ』や『ダンジョン飯』にも共通するが、『空挺ドラゴンズ』の「地に足の着いた感」は群を抜いている。
それは、ディテールが世界の広がりを感じさせるからだ。
さまざまな龍料理のレシピ、龍の捕獲方法、解体方法、脂の使い道、さらには龍の革細工など、「龍が存在する世界」ならではの文化体系が、作中で構築されているのである。
それらひとつひとつが、ことさら説明されるわけではなく、淡々と「日常的な風景」として描かれており、その積み重ねが「世界観」を作り出す。
僕がとくに感心したのは、捕獲した龍を解体する前に、供え物をして手を合わせているシーンだ(2巻P.150)。龍の革の壁掛け(タペストリー)と同様、この世界での習俗が見て取ることができ、そこに文化としての豊かさを感じることができる。
われわれの住む世界に龍を描くだけでは、「龍のいる世界」は生まれない。龍が実在することを前提とした食文化、流通、文化が描かれているからこそ、「龍のいる世界」を実感できるのだ。

同じく冒険、狩猟、食事を題材にした『ゴールデンカムイ』も文化的な豊饒さを感じさせる作品だが、こちらは現実のアイヌ文化を題材にしている。もちろん作者の取材が綿密で、アイヌ文化への理解度が高いからこそ実現できてるのだが、本作『空挺ドラゴンズ』は架空の世界を舞台に、現実世界と同等に「龍のいる文化」をイチから作り上げている。その点を高く評価したい。

2017年8月現在、単行本は2巻まで刊行されている。
これまでは主要登場人物と世界観の顔見世的な色合いが強かったが、これ以降は「冒険」の部分がクローズアップされていくものと予測される。ベースがしっかりとしているだけに、そこで繰り広げられるドラマにも期待が膨らむのだ。
なお、公式サイトから第1話の試し読みが可能なので、ぜひとも読んでみてほしい。