文明崩壊後の地球でのサバイバル物語
田村由美『7SEEDS』の最終35巻が刊行された。第1話の初出は「別冊少女コミック」2001年11月号。途中、新創刊された「flowers」に移籍し、足かけ16年に及ぶ長期連載作品となった。
物語の舞台となるのは、巨大隕石の衝突により文明の崩壊したあとの地球。
隕石の飛来を予測した各国政府は「7SEEDS」プロジェクトを実施し、日本では7人ずつ5チーム「春・夏A・夏B・秋・冬」の少年少女を冷凍保存し、“未来”へと送った。
そして冷凍睡眠から目覚めた少年少女たちは、人類滅亡後の地球で協力し、時に反目し、過酷な環境下でサバイバルを繰り広げていく。
時代背景のことを先に述べておくと、映画『ディープインパクト(Amazonプライム版)』や『アルマゲドン(Amazonプライム版)』が劇場公開されたのは前世紀末の1998年。隕石衝突、地球滅亡、ディストピアといった要素は、世間的に受け入れられやすい素地があったことは抑えておきたい。
田村由美は代表作『BASARA』や近作『猫mix幻奇譚とらじ』でも、文明滅亡後やはるか未来の世界を舞台に作品を描いているので、ある意味では世相と田村の得意分野、テーマがマッチするタイミングでスタートしたのが本作『7SEEDS』だ。
僕はこの作品を傑作だと思っている。
なぜそう思うのかを、思いつくままに述べていきたい。
読者をドキドキさせる手練手管
本作の大きな魅力として、手に汗握るようなスリリングさが挙げられる。なぜわれわれ読者は、この作品にこれほどドキドキさせられるのだろうか?
そのスリリングさを生み出す要素について考えたい。
まずはパニックアクションとしての要素だ。
地球環境が大幅に変化したあとの地球は、現代人の常識では考えられないような気象変化をするし、見たことのないような動植物が跋扈している。白いゴキブリ、巨大な食虫植物、人の子供くらいの大きさのアリなど、そのグロテスクさには目を引かれる。
そして『猿の惑星』でテイラー大佐(チャールトン・ヘストン)が自由の女神像を見て驚愕するような、文明崩壊後の未来ならではのショッカーシーンも用意されている。日本各所のランドマークを巧妙に取り入れており、それはショッカーシーンとして作用するのはもちろん、主人公たちがどの場所をさまよっているのか、どれくらいの距離を移動してきたのかを読者に想起させる。
自然災害、異形の動植物、旧文明のランドマークと、ポイントとなるビジュアルイメージを見開きで提示する緩急のつけ方は、基本に忠実でありながら実に効果だ。
とりわけ物語前半は、モンスターパニック映画とディザスター映画のようなパニックアクションがストーリーを牽引していく。
次にサスペンス要素が挙げられる。
なにしろ未来に送り込まれた各グループは、元は現代社会で日常生活を送っていた普通の少年・少女にすぎない。したがって現代人特有のコミュニケーション不全をそれぞれが抱えている。そこに利害関係が絡まり、人間同士の対立関係が生まれてくる。とくに7巻で「夏のAチーム」が出てきてからは、キャラクター間に強烈な対立軸が生じ、物語が一段階上の領域に足を踏み入れていく。
この対立軸の示し方がうまい。
通常、日本のマンガは右開きの見開き単位で構成され、右ページ右上から始まり、左ページ左下へと進む。そこからわれわれ読者は、無意識のうちに左ページが未来だと刷り込まれている。たとえば『あしたのジョー』のラストは、矢吹ジョーが見開き左側に向かって座っていて、彼が「あした」に向かっているシーンに感動するのだ。
『7SEEDS』の場合、物語序盤に顕著だが、主人公たちと対立関係(もしくは疑心暗鬼)の人物は、ページ右側に顔を向けていることが多い。もっと大雑把に言えば「敵か味方かわからない人間は右を向いている」と思えばいい。ただし「右を向いている人」が出てきても、それと対になる人物が左を向いている……つまり互いに向き合っている構図であれば、それは両者の融和を示す。
対立構図は「主人公(ストーリーを進展させたい者)は左側に向き、ページ左側に配置」「対立者は右側に向き、ページ右側に配置」で提示される。要は「たがいにソッポ向いている」状態だが、こうした構図によって、誰と誰が反目しているのかが一目瞭然だ。
非常に登場人物の数が多い作品だが、コマ割りによって直近の対立構図を示してくれているので、読者は複雑な人間関係をすんなりと消化できる。サスペンスはキャラの作り込みによってのみ生まれるのではなく、構図的な妙味によって緊迫感が増幅されるのだ。
ちなみに、『7SEEDS』のラストに描かれた主人公ナツの顔はページ左側、つまり未来へと向かっている構図となっている。
そしてスリルを生む第三の要素として、タイムリミット・サスペンスがある。
タイムリミット・サスペンスとは、「時間的制約のあるなかで目的を遂行しなければならない状況」に追い込まれるストーリーだ。時限爆弾のカウントダウンタイマーと爆弾解除、と言えばわかりやすいだろう。とくに物語中盤以降は、浸水してきた水から逃げる、山火事から逃げるなど形を変えながら、さまざまなタイムリミット・サスペンスが繰り広げられる。
これら3つに大別されるスリラー要素により、本作は「息つく暇もない」スリリングさを獲得しているわけだ。
イニシエーションの物語
とはいえ、未知の世界でパニック・アクションが続くと、ともすれば読者に絵空事として受け止められてしまう危険性がある。しかし、未来世界を舞台に作品を描き続ける田村作品は、広く支持され続けている。『天使かもしれない』の「神話になった午後」(主人公「のーこ」がタイムスリップして織田信長に嫁入り)は、少女マンガの短編に伝統的に存在する「異世界ボーイ・ミーツ・ガール」の類型のひとつだったが、『BASARA』『7SEEDS』『猫mix幻奇譚とらじ』では未知の世界を舞台に「なぜ生きるか」といった普遍的なテーマが描かれる。そこが田村作品が支持される理由だろう。
なかでも『7SEEDS』は、「サバイバル」であるがゆえに、そのメッセージ性は強く打ち出される。この世界で生きることは困難だが、では生き延びさえすればそれでいいのか。この「7SEEDS」プロジェクトを計画した者からすれば、人類の種を絶やさなければいいだろう。しかし、当事者の少年・少女は、必ずしも自分の意志でこの世界に来たわけではない。だから、まずこの世界自体を、自分の置かれた状況を受け入れることができない。
不本意にも未来世界に送り込まれた少年少女がこの状況をアクセプトし、「この世界で生きる」決意をし、「どう生きるか」を考える。
未知の世界で知り合った他者と仲良くなり、自分の対人関係を築く。それは「親に保護された世界」からの離脱・卒業を意味する。子供だった自分を殺して、大人として生まれ変わるわけだ。
つまり、これはビルドゥングスロマンであり、イニシエーション(通過儀礼)の物語なのである。
この「生まれ変わり」の物語を、もっとも印象的に描いたのが「小暑の章 22【ー喝采ー】」(21巻収録)だ。川の濁流に飲まれた花(春チーム)が海へと流れつき、狩猟採集で自活し、「ここで生きていく」とハッキリと意識する回である。この回では、海に流れ着いた花は、幼少期の姿で描かれる。そして世界を受容した瞬間から、大人の(本来の)姿で描かれるのだ。
なお、この回は「flowers」2011年6月号(2011年4月28日発売)に掲載された。あの東日本大震災直後に、この力強いメッセージを発信できたのは、タイミング的には偶然かもしれないが、いぶされた読者は多かっただろうし、時代的な宿命を背負った作品と言えるかもしれない。
象徴的に描かれる妊娠と出産
さて、イニシエーションの物語といえば、昔から少年マンガに数多い。というよりも、いわゆる「王道」と呼ばれる少年マンガの冒険譚は、ほとんどがそうだ。『7SEEDS』もその類型のひとつではあるが、本作のスペシャリティは妊娠と出産にある。ディストピアものとなると、アメリカのテレビドラマ『V』(1983年版)でビジターの子を身ごもって出産するシーンや、『ウォーキング・デッド(Amazonプライム版シーズン1)』におけるローリ(主人公の妻)の出産などが印象的だ。
ディストピアものにおける出産は、暗い未来に差す一条の光として、あるいは「妊婦や子を守る」アクションを生み出すために機能する。
『7SEEDS』でも、妊娠や出産は描かれる。
この世界で子を産むことのデメリット(夏Bチーム・牡丹)や、「7SEEDS」プロジェクトの計画者の思惑通りには生きないという反抗心(秋チーム・蘭、秋ヲ)によって、この物語でははじめは妊娠・出産は否定される。それが「この世界で生きる」ことを受容し、流星とくるみ(秋チーム)の出産を経ることで、妊娠や出産が肯定的なものとして捉えなおされていく。
本作がイニシエーション(生まれ変わり)の物語であることを考えれば、よりテーマに沿ったものとして妊娠・出産が描かれていることがわかる。
21世紀は不穏な時代だ。
政治情勢も社会状況も、景気も良くならない。それでもわれわれは『7SEEDS』の投げかけた力強いメッセージを胸に、今日も「ここで生きていく」のだ。
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