王道の魔法ファンタジー

第1巻を読んだ時点で、僕はこの作品にバッチリ心を持っていかれてしまった。とにかくそれだけの完成度と、まだ見ぬポテンシャルを秘めているのがこの『とんがり帽子のアトリエ』である。

本作の舞台は魔法や巨鱗竜(ドラゴン)が出てくるファンタジー世界。
主人公のココは魔法使いに憧れる少女だ。
この世界には「生まれたときから魔法を使えない人は魔法使いになれない」という不文律があるため、ココは魔法使いになることをあきらめていた。
しかし、ふとした機会に魔法使いキーフリーが魔法を使う瞬間を目撃する。キーフリーは魔法陣を「描いて」魔法を行使していた。この世界では、魔法は「かける」ものではなく、「描く」ものなのである。特別な「魔の墨(インク)」と「決められた魔法陣」さえあれば、誰にでも魔法が使えるのであった。いわば現代社会におけるテクノロジーのようなものか。
魔法使いたちは魔法の濫用を防ぐために、魔法の使用方法を「絶対の秘密」とし、不文律を犯した者の記憶を消して、社会の秩序をコントロールしてきたわけである。
本来は「知らざる者」であったココは、みずからの不始末によって禁止魔法で母親を石にしてしまう。母親を救うため、ココはキーフリーの弟子となり、正式な魔法使いになるために魔法を学ぶことになるのであった。

いわゆるファンタジーの“王道”的な魔法の物語だが、絵柄と世界観が素晴らしくマッチしている。
第1話はこちらで試し読みできる。

表現上の制約を逆手に取ったコマ

本作はコマ割りに特徴がある。
せっかく第1話の試し読みができ、雑誌掲載時のノンブルが振られているので、そちらで具体例を示していきたい。

P.181
屋根の上にいたココが、はしごを使って屋内に戻り、階段を下りていく一連のシーン。このページの2~4コマ目は、枠線によってコマとして区切られているものの、枠線を度外視して俯瞰して眺めると、家の内部構造がわかる一枚絵になっていることがわかる。

P.188
魔法使いのキーフリーが、断ち切りの枠線に肘をかけて寄りかかっている。コマの枠線を屋内の家具(テーブル)に見立てている。

P.189
枠線の修飾。アール・ヌーヴォー調の装飾を施している。通常マンガでは、作中の現在時間とは時制の異なるシーンを描く場合、枠線を太くしたり、ドブやコマ外を墨ベタにする(P.190~193)。その導入部に、枠線を修飾したコマを入れることで、カットが円滑に移行できる。
こうした工夫は2巻でも多く、2巻のP.74では、コマの枠線を窓枠のように描いている。そして「窓の外(窓から見えるもの)」「窓ガラスに映るもの」「窓の内」と、窓を通した3つの異なるものを、この窓装飾のコマ内に描いてみせている。
また、2巻P.188-189では、上段の見開きコマの下部をV字にカットすることで、「干上がった川底」の渓谷然とした地形的特徴をより印象的なものにしている。

枠線でコマを区切るというマンガ表現上の制約を、1枚絵(コマ)を装飾するフレームとして用いることで、作品の世界観を伝えるために役立てている。こうした表現技法の巧みさが、この作品の魅力となっているのだ。

テーマの取り方のうまさ

こうした技巧的な側面と同等以上に僕が感心したのは、そのテーマの取り方だ。
本作では、特殊なインクで魔法陣を描くことで魔法が発動する。
つまり「魔法=描く」である。
マンガ家にとって絵を描くことは、まさしくマジックであり、そこには描くことへの憧れもあれば、恐れもある。うまく描けないことへの苛立ちもあれば、やらなければいけないことがわかっているのに集中して努力できないモヤモヤもある。
そうした作者自身の作家的な心情が、主人公のココの内面としてダイレクトに反映されているからこそ、ココの感情が実にフレッシュに表現されているわけである。

2巻では、キーフリーがココに向かって話しかける。
「発想(アイデア)は」「杖(ペン)さばきと並んで魔法の要になるものだから」

この『とんがり帽子のアトリエ』は、アイデアもペンさばき(技巧)も秀逸で、まさに魔法のような作品になっているのだ。