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「少年ジャンプ」における本宮ひろ志の功績を考える

森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ)で開催中の「週刊少年ジャンプ展」に行ってきた。
開催概要を見ると、創刊から現在までのジャンプの歴史を3期に分け、期ごとに展示内容を変えていくようだ。現在公開されている「VOL.1 創刊~1980年代、伝説のはじまり」(7月18日~10月15日)では、いわば「少年ジャンプ」の黎明期を支えた作品……、『ドラゴンボール』『キャプテン翼』『キン肉マン』『聖闘士星矢』など、レジェンド的な作品の原画が展示されている。

展示内容は「少年ジャンプ」最初のヒット作である『ハレンチ学園』(永井豪)と『男一匹ガキ大将』(本宮ひろ志)から始まる。
『男一匹ガキ大将』の主人公・戸川万吉は、上記の集合イラストでは孫悟空とケンシロウのすぐ後ろに位置しており、ジャンプ・マンガのオールスター的な企画(『ファミコンジャンプ 英雄列伝』など)でもつねにセンター的なポジションを占めてきた。
それだけ「少年ジャンプ」の“偉大な功労者”としてリスペクトされているわけだが、実のところ、いま40代以下の世代は「ジャンプにおける本宮ひろ志」にピンと来ない。そこで今回は「ジャンプにおける本宮ひろ志」の影響力を考えるために、『男一匹ガキ大将』について言及したい。

制度面への影響

1968年に創刊された「少年ジャンプ」は、「少年マガジン」や「少年サンデー」(ともに1959年創刊)、「少年キング」(1963年創刊)に比べると、後発の不利は否めなかった。有名作家を他誌から引き抜くことができず、大看板不在のままの船出を余儀なくされたのだ。そのなかにあって、雑誌を牽引すべく起用されたのが、貝塚ひろし『父の魂』であった。
『父の魂』は「少年ジャンプ」創刊号に2本だけあった連載作品(ほかは読切)のひとつ。高校野球を題材にした野球マンガで、実在の巨人軍の選手も作中に登場する。

ところが貝塚は、7号の原稿をあげた後で失踪してしまう。10号まではネームができていたので、アシスタントたちによってどうにか原稿が仕上がったものの、1968年11号(この年は11号が最後)、1969年1号、2号は休載となった(3号から連載再開)。
『父の魂』が休載するかわりに、1968年11号から新連載がはじまったのが『ハレンチ学園』と『男一匹ガキ大将』である。このようにして「少年ジャンプ」は新人を起用せざるを得ない状況に追い込まれたわけだが、怪我の功名というか、この2作品が空前のヒットとなった。両作品を原動力として「少年ジャンプ」は大躍進し、1971年には発行部数100万部を突破、1973年には雑誌発行部数で首位に躍り出ることになる。なお、『男一匹ガキ大将』は1969年に日本テレビ系列でアニメ化され、これが「少年ジャンプ」掲載作品としては初のアニメ作品となった。

「少年ジャンプ」にとって新人育成は苦肉の策だったかもしれないが、それはやがて「少年ジャンプ」の体質となっていく。それというのも、永井豪と本宮ひろ志での成功体験が根底に流れている点を見逃してはならない。だが、功成り名を挙げれば、他誌からもラブコールが殺到するのは人気商売の常。永井豪が他誌にも作品を描くようになると、「少年ジャンプ」編集部は専属契約制度をスタートさせる。その適用第1号が本宮ひろ志であった。
つまり本宮の存在は、「新人育成」や「専属契約制度」といった「少年ジャンプ」のシステム面にも影響を及ぼしたわけである。

「少年ジャンプ」の対決主義

次にソフト面(マンガの内容)での影響についてみていきたい。

『男一匹ガキ大将』は、いわゆる番長マンガである。
主人公・戸川万吉はガキ大将だ。ケンカを通じて子分を増やしていき、最終的には日本中の不良を従えるようになっていく。
いわゆる“対決マンガ”だ。
「強敵を倒す→倒した相手が仲間になる→新しい敵が現れる」というのが典型的なパターンであり、その構造上、「トーナメントバトル」とか「対決主義」と呼ばれることもある。

この“対決マンガ”の系譜は、横山光輝の『伊賀の影丸』までさかのぼることができるだろう。『伊賀の影丸』は1961年から1966年にかけて「少年サンデー」に連載された横山光輝の忍者マンガだが、山田風太郎の小説『甲賀忍法帖』(1958年)の存在を抜きには語れない。チームバトル形式や、作中で使う忍術などに『甲賀忍法帖』からの影響を見て取れる。『甲賀忍法帖』は1963年に小山春夫の手によってコミカライズされているが、やはり世間的な認知度や普及度合いを考慮すると、“対決マンガ”の祖は『伊賀の影丸』と言っても過言ではないだろう。

しかし、『伊賀の影丸』では、敗者は死亡してしまう。
忍者だから仕方ない。
仲間や敵は死亡し、次のシリーズになると、新しい仲間と敵のチームがセットで支給される。影丸はさまざまな忍術を駆使して戦うが、物語中に特訓して新しい技を編み出したり、人間的に成長したりすることはない。この“対決マンガ”の基本的な骨組みに、「仲間になる」要素とか、主人公の成長というビルドゥングス・ロマンの要素とかを肉付けすることによって、繰り返しの消費に耐えうる「トーナメントバトル」という強固なパターン構造が成立したのである。

一応、「少年ジャンプ」のオフィシャルなアナウンスとしては『アストロ球団』が対決主義の祖ということらしい。「少年ジャンプ」創刊にたずさわった3代目編集長の西村繁男は、次のように証言している。
「対決ものにしていくのが一番人気を取りやすくて、それが『アストロ』で当たったんですよ。良くも悪くも『アストロ』のパターンというのは、それ以降の作品『リングにかけろ』『キン肉マン』『ドラゴンボール』に影響していますね。」
(『マンガ編集術』白夜書房)
この西村繁男こそ、本宮ひろ志の『男一匹ガキ大将』連載時の担当編集である。つまり、本宮が『男一匹ガキ大将』執筆時に本能的に辿り着いた境地を、編集側が自覚的にメソッドとして応用した最初の作品が『アストロ球団』であると理解しておけばよさそうだ。

本宮の「発見」したトーナメントバトルは、いくら消費しても消費し尽くすことができないほど強靱な構造であった。数多くのフォロワーが、このメソッドにのっとってヒット作を生み出した。
高橋よしひろ(『白い戦士ヤマト』『銀牙ー流れ星 銀ー』)、金井たつお(『ホールインワン』)、車田正美(『リングにかけろ』『聖闘士聖矢』)、宮下あきら(『魁!!男塾』)、江川達也(『まじかる☆タルるートくん』)、猿渡哲也(『高校鉄拳伝タフ』)……と本宮ひろ志の下でアシスタントを経験し、巣立っていった「本宮門下生」は枚挙にいとまがない。
週刊連載をベースとしたこのチキンレースのようなメソッドは、今現在でも繰り返し用いられ、まさしく「少年ジャンプ」の” お家芸“となった。いわば「少年ジャンプ」は「本宮」を繰り返している、と極論してもいい。

トーナメントバトルの本質は「力比べ」にあらず

トーナメントバトルは、繰り返し消費されてきたことで、誰もがそのパターンを熟知している。だが、世の中に氾濫しすぎたせいで、「ジャンプ式トーナメントバトル」の源流にある本宮作品の本質が見誤れやすい。本宮作品は後世のトーナメントバトルと同様、派手なアクションシーンをウリとしているものの、実は「暴力の限界性」を提示している。

『男一匹ガキ大将』は、主人公であるガキ大将・戸川万吉が、各地の悪ガキを喧嘩でねじ伏せ、子分に従えていく物語である。やがて万吉は日本中の不良を従えた総番になり、最終的には中東まで行ってアラブに爆弾を落としたりするわけだが、要するに万吉が悪ガキどもをどのようにねじ伏せていくかが作品のキモとなる。
というのも、喧嘩マンガは「何によって勝敗が決まるか」が重要だ。そもそも喧嘩にルールは存在しない。では、勝ち負けは誰が決めるのか。ボコボコに叩きのめされて、ズタボロにされたとしても、それが決定的な「負け」になるわけではない。人数でも道具でも揃えて仕返しすればいいだけの話で、つまり喧嘩の勝敗は、いずれか一方が敗北を認め、敗北を受け入れたときにのみ成立する。本人が負けたと思ったときこそが負けであり、「心が折れなければ負けではない」のだ。

つまり、喧嘩マンガの本質とは、彼我の戦闘能力の優劣を判じるものではなく、いかに相手に敗北を認めさせるか、である。ひいては、戦いの結果そのものよりも「戦い方」が問題となる。敗者が勝者の子分(仲間)になるには、喧嘩を通じ、戦闘能力以外の面で「こいつには敵わない」と思わせる要素が必要になってくるのだ。アクションシーンを大仰に見せることに腐心しすぎ、その本質を見落としていると、倒した相手が味方になる必然性を見出せないまま味方は大所帯になってしまう。

喧嘩の本質が「力くらべ」でないことを、本宮は見抜いていた。
なにしろ万吉は、ガキ大将・松川が人数を集めて攻めてくると聞いたときに、寺の屋根の上で仰向けになって「しちめんどくせい」と感想を述べ、綱村鉄次との喧嘩の前に「けんかだけやったら犬畜生でもやるわい」と自問し、また「むかしは暴力で天下をとれたが…… きょうびは!! そんなもんじゃ!! とれんのじゃい!!」と言い放っている。
そして作中での喧嘩は、殴り合いの末に決着するものもあるが、たとえば多勢を前にしても怖じ気づかない度胸を見せつけたり、土壇場でハッタリをかましたり、万吉の「度量」や「侠気」といった抽象的な「器の大きさ」によって決する。「器の大きさ」に気圧されて感服したライバルが「こいつ(万吉)には敵わない」と敗北を認め、いわゆる「男が男に惚れた」状態になり、万吉の子分になっていく。『男一匹ガキ大将』で描かれる喧嘩は、「力くらべ」ではなく、「侠気くらべ」なのである。

チカラの獲得

本宮マンガでは、野心を抱いた男が個の暴力を超克し、より大きなチカラを獲得し、やがて自己の立ち位置を共同体の外縁から中心へとシフトしていく物語構造が取られている(例・不良から政治家)。
そのチカラとは権力である。
個人の暴力(戦闘能力)を「しょせん」程度に割り切っており、野望(野心、夢)を持った「器の大きな人物」が他者を魅了し、その人物に引きつけられた者たちが自己犠牲的精神を厭わない(例・男が男に惚れる)状況においてのみ、初めて大きなチカラ(権力)が生じる。
つまりカリスマ誕生の瞬間である。
この構造は、『男一匹ガキ大将』だけに限らず、ほかの本宮作品にも共通する部分である。こうした権力観は、本宮が17歳まで少年航空自衛隊に所属していたことと無関係ではないと推測するのは、うがちすぎだろうか。

こうした自身の内なる権力観に対し、『男一匹ガキ大将』執筆時点での本宮は、まだ無自覚であったように思われる。マンガの進むべき方向性に対し、万吉の歩むべき道に対し、逡巡や葛藤が垣間見られるのだ。そうした作劇方法を採用している、というよりは、作者と主人公の同調的な「迷い」と言えるだろう。ヤマ場となる大喧嘩まで盛り上げに盛り上げておいて、にもかかわらず万吉が女に溺れて駆け落ちしようとしたり、富士すそ野での決闘で万吉を殺して連載を終了させようとしたり……。
先の見えない「生みの苦しみ」がダイレクトに誌面に反映されているからこそ、万吉の人間臭さが引き立つ。彼は突然変異的に出現した超越者ではない一個の人間であり、だからこそカリスマになりえた。

万吉をはじめとする本宮マンガの主人公たちは、もちろん創作的な人物造形は多分に含まれてはいるものの、その心情においては本宮そのものである。カリカチュアライズされた本宮が、彼独特の権力観を基底とした世界で、「男子一生の仕事」として権力獲得までの闘争に邁進する。それが本宮マンガの基本構造なのである。
こうした権力観の本宮が、歴史マンガを描いたり、政治に興味を抱いたりするのは至極当然ともいえるが、それはまた別の話。

ちなみに『大ぼら一代』では、万吉が成長したような男(島村万次郎)が敵として登場する。彼は日本で軍事独裁政権を樹立するのだが、そこに「チカラ」の獲得に邁進する本宮ヒーロー像の表と裏の姿を確認できるはずだ。

現在入手可能なバージョンについて

現在『男一匹ガキ大将』は、文庫や電子書籍では、富士のすそ野の決戦までしか収録されていない。
本宮は決戦のハイライト「竹槍仁義の巻」で、万吉の腹に竹槍を貫通させ、「完」と大書して作品を終わらせようとした。しかし、編集部は人気絶頂のドル箱を手放すわけにはいかない。万吉の身体に突き刺さっていた竹槍は、学ランが翻って貫通していないように「修正」し、さらに「完」の文字はホワイトで潰された。つまり本宮からすれば、この「富士のすそ野の決戦」以降は、編集部によって「無理やり描かされた」ものだ。
今回の文庫化にあたっては、私が二十代前半で辛うじて自らを支えながらかくことのできた“富士のすそ野の決戦”までで、終りにしてもらった。
この“富士のすそ野”以降は、絵も話も思い出したくないというのが本音である。
(『本宮ひろ志傑作選 男一匹ガキ大将』7巻 あとがきより)
とはいえ、それ以前の「第一部」では、赤城山にこもったり、仕手戦を仕掛けたり、女に溺れたり、そこから復活したり、少年院に入ったり、本作のエッセンスは十分に感じ取れることを保証する。

トーナメントバトルが一般化したいま、原典的な作品『男一匹ガキ大将』に当たることで、「コロンブスの卵」を評価できるのではないだろうか。