注目度の高い歴史マンガ

この9月1日で、新人マンガ家の作品をレビューするサイト「yomina-hare」が1周年を迎えた。
僕もちょこちょこと記事を書かせてもらっているのだが、1周年の特別企画として「1年間で一番読まれた、バズった、単行本が売れた記事は?」が発表された。
このうち「1年間で一番読まれた記事」に『バンデット –偽伝太平記–』新連載レビュー、「1年間で一番、「yomina-hare」経由で単行本が売れた記事は?」に『サラブレッドと暮らしています』単行本発売前日レビューと、僕の書いた記事が2本選ばれた。

『バンデット –偽伝太平記–』は、新連載の第1話目を雑誌発売日にレビューするという、なかなか異例なことをやらせてもらった。
現在ではコミックスが3巻まで刊行されており、ストーリーの展開上、この3巻までが序章というか、ひとつの区切りになっているので、この機会に改めてレビューしたいと思う。
なお、作品のアウトラインについては、「yomina-hare」でのレビューを参照してもらいたい。

印象的な主人公の「目」

マンガのキャラクターでいちばん大事なのは何かと考えたときに、それは「目」じゃないかと僕は考えている。
目が印象的であれば、読者の視点はその人物に吸い寄せられていく。
よく「登場人物に感情移入する」といった言い方があるが、それは話の主題によっては必ずしも必要ではないとも思うが、しかし主人公に感情移入してもらうには目の果たす役割は大きい。
読者は主人公と視点を共有することで、まだ見ぬ世界と物語へと没入していく。
簡単に言えば、われわれ読者は、主人公の目を通じてその作品世界を見て回るわけだ。

本作『バンデット –偽伝太平記–』の主人公・石(いし)は、物語開始時は下人である。
下人の身分から開放され、猿冠者と出会い、猿冠者の導きによって世界のさまざまな出来事に触れる。作品の時代設定が鎌倉時代末期と、あまり読者になじみのない時代であるがゆえに、石が見聞を広めていく過程と、読者がこの未知の世界を知っていく過程を同調させるうえでも、石と読者の視点を同期させる必要性は高い。

石の目は大きく見開かれている。
新しく自分の目の前に開けていく“世界”を、あますことなく見てやろうという姿勢が、われわれが新しいマンガを読むときのスタンスとよく似る。
この構造は、ちょうど『よつばと!』にも言えることだ。
主人公・よつばが引っ越してきた町で、さまざまな出来事と遭遇し、徐々に町を知り、その町の人々を知っていくのだが、大きく見開かれたよつばの目と読者の視点が同期するからこそ、われわれはよつばの抱くフレッシュな驚きを共有できるのだ。とりわけ『よつばと!』は、よつばの視線の向きがコマの運びと連続していることが多く、まさに読者は彼女の視線に導かれて物語に入り込んでいくことになる。その意味で僕は、『バンデット –偽伝太平記–』は悪党版の『よつばと!』と考えている。

プロローグの終わり

いま刊行されている1~3巻は、猿冠者が石にこの世界(鎌倉末期)をレクチャーする導入部としての意味合いが強い。猿冠者は元下人の意志を対等の存在として扱い、ときに父のようでもあり、師のようでもあり、また友のようでもあるが、その特殊な関係性が生むバディ感も本作の楽しみのひとつだ。
そして猿冠者の素性が明らかになるのが3巻である。
ここまでは太郎冠者と次郎冠者が主(しゅう)に対峙するという狂言の構造をとっているが、その物語構造における本作での主が明らかになる。
この3巻までで「序破急」の序が終わり、今後は石の意思ある行動が物語の主軸となるだろう。
これから大きく物語が動いていくことが予想されるが、あとから読み返したときに、石の行動原理はこの1~3巻に詰まっていると感じるのではないだろうか。