大きな驚きをもって迎え入れられた大今良時の新作

『不滅のあなたへ』は、「このマンガがすごい!2015」オトコ編で1位になった『聲の形』の大今良時の新作である。心待ちにしていた作品なのだが、掲載誌「週刊少年マガジン」で第1話を読んだところ、驚きのあまりブッ飛んでしまったのを記憶している。

『聲の形』で作者にインタビューしたときは、ちょうど最終回のネームを描いている段階だったので、次回作の構想を聞いたが、
――ファンタジーがお好き?
大今 やりたいです。
――やりたいですか。
大今 やりたい……けど……、難しいです。ルールが広すぎて。なにか縛りがないと、読者も何を手がかりに読んだらいいかわからないんじゃないかと思うんですよ。私は、テーマがないと描けない。「テーマなしで自由に描いてください」とか言われると、全然マンガ描けないと思う。何を考えたいのか、何を伝えなきゃいけないのか、を決めなきゃいけません。
――『聲の形』が終わったあとは、ファンタジーを?
大今 はい。いや、やっぱり全然考えてないです。まだ自分のなかで、次やることが育ってない。
(「このマンガがすごい!2015」より引用)
とのことだった。
だから次回作としてファンタジーをやることは予想できていたのだが、実際に第1話を読んでの率直な感想としては「あたらしい『火の鳥』が始まったんじゃないか!」という大きな驚きだった。読者は大きな喜びをもって、本作を迎え入れたのである。
ところが読み進めていくうちに、これはちょっと僕がのんきに楽しんでいる以上に、はるかに問題作なのではないか、という気持ちがもたげてきた。どう言及したものか、きわめて難題だ。
『不滅のあなたへ』は、一体何を描いているのか?
物語がひとつの節目を迎えた4巻時点での時評をしていきたい。

さまざまな物の形質を「獲得」する主人公

はじめに作品の概要を説明したい。
本作はモノローグから始まる。
「それははじめ球だった」
「ただの球ではない」
「ありとあらゆるものの姿を写しとり 変化することができる」
「私は“それ”をこの地に投げ入れ 観察することにした」

まるで「ヨハネの福音書」のような冒頭だが、この球は刺激を受けた物の姿を獲得できる性質がある。
“それ”は石、コケ、レッシオオカミと姿を変え、やがてひとりの少年に出会う。
そして少年の命がついえると、“それ”は少年の姿を獲得し、広大な世界へと旅立っていく。

少年マンガで「王道」とされる冒険活劇は、ビルドゥングス・ロマンである。
主人公がさまざまな経験をして内面的に成長していく過程を描くもので、「自己形成の物語」といっても過言ではない。ファンタジー世界を舞台とする作品は、「自分を知る者がいない世界で、自分の力で人間関係を形成し、チカラ(能力、財産、権力)を獲得する」という点で、そのビルドゥングス・ロマンとしての性質が浮き彫りになりやすい。

しかし、『不滅のあなたへ』の主人公(のちにフシと名付けられる)はどうだろうか?
刺激を感応する本能のようなものは存在するが、自身はあくまで入れ物であって、遺伝子の運び屋になることもなく、「ひとりノアの箱舟」とでも言おうか、ただ刺激を受けた物の形質を獲得していくにすぎない。
それは「成長」ではなく、あくまで「獲得」なのだ。
だから敵対者のノッカーに奪われることもあるし、失ってからは思い出すこともできない。
この4巻は「彼は成長した」の一文から始まるが、それは「人間の姿における身体的な発育」を意味しているだけであった。
フシの人間としての姿は、ノッカーに奪われれば消えてしまう。
その際、「自分とは何か」を思い悩むフシの人間的な営みも、同時に失われてしまう。

はじめ“それ”として登場した主人公は、なにか得体のしれない不気味な存在であったが、フシという人間の姿を獲得したことで、われわれ読者はあたかも「これから成長していく主人公」と認識しがちだが、それは作者による故意のミスリードであって、フシは“それ”という謎めいた存在に戻ってしまう可能性をつねに保持している。
つまり本作品は、少年マンガの王道の体裁(ビルドゥングス・ロマン)を取っていながら、主人公の性質上、成長というものを“描けない”構造になっている。
この仕掛けは、壮大なたくらみであると気づく。

人間は成長する……のか?

これは「成長とは何か?」という、大きな問いかけだ。
それは「何をもって成長とするか」という質的な問題ではなく、「そもそも成長って……するの?」という根源的な問いにほかならない。
「少年の成長を描く少年マンガ」のフィールドでこのような作品を描くことは、きわめて挑戦的だ。しかもそれを、梶原一騎の時代から正調のビルドゥングス・ロマンを描き続けていた「週刊少年マガジン」誌上でやるのだから、『不滅のあなたへ』は劇薬のような作品として認識すべきだと僕は感じている。

では、フシの抱える自己認識の問題は、もともとが“それ”であったことに由来するような、フシ独自の問題なのか?
そうとは思えない。
記憶の同一性保持が自己同一性の認識の担保となる……と、僕らはついつい思い込みがちだが、認知症の高齢者に接したことがある人であれば、誰しもがその思い込みに疑いを抱くはずだ。
いみじくも2巻でマーチが「大人になるってしっていくってことでしょ?」(「#9 意味のある死」)、フシが「大人になる」「知ること」(「#12 集める者、奪う者」)と言っているが、フシもわれわれも“忘れていく”存在なのである。
すべてを忘れてしまい、自分すら認識できない状態になった高齢者であっても、その人を人間たらしめるものは、何か。

『不滅のあなたへ』はファンタジー世界を舞台に、現実社会における人間存在の問題、自己認識の問題を扱っている。これほど「生きる」ということを直視した作品は珍しい。
僕は、そのあたりに注目してこの作品を追っている。

作中の文字について

さて、作中にはこの世界独自の文字が登場する。
2巻では老婆ピオランがフシに文字を教えるシーンがあり、そこで1音ごとに対応した文字が存在することが示唆される。ここから、この世界の文字は表音文字であることがわかる。
日本語の50音に対応する語がひとつずつある……という発想自体は、日本語対応手話に近いのかもしれない。
しかし、同じ母音の語句を拾っていくと、共通した書き方が見当たる(母音「i」なら、英語の小文字「r」のような形が含まれる、など)ので、かな文字と作中文字の関係は、かな文字とハングルの関係に近い。
いずれ公式に50音対応表が出るものと思われる。

以上のことを踏まえて、コミックスのカバー下の表1を見ると、そこに書かれている文字が
「わ・(u)・(e)・な・い・よ・う・(i)」
「忘れないように」と類推できる。
この表1~表4の絵は、1巻で登場した少年が自宅の壁に描いていた絵に似せているが、コミックスの巻数を追うごとに、マーチなどが描き足されていくことから、少年の描いたものではなく、フシの心象を写したものであるとわかる。
ここでの追加/削除が、本編の物語と対応しているので、コミックスを読み終えたらカバーを取って、表1~表4の絵に思いを馳せてみるのもいい。
そっかぁ、4巻だとあの人物が消えちゃうんだなぁ、とかね。

ちなみに。
この世界の文字は画数が少なく、英語の筆記体のように書けるので、たとえば目がふさがれたり、身体が拘束された状態でも、相手の身体(たとえば手のひらや背中)になぞることで、意思疎通が容易な文字である。今後、その特質を駆使した描写も出てくるんじゃないか、と予想している。
なにしろ作者の大今良時は、『聲の形』では耳の聞こえの状態を示すために、フキダシ内のセリフを削ったりするほど、言葉の提示の仕方にこだわる作家だ。
そのあたりも注目しておきたい。