『この世界の片隅に』上映1周年

今日11月12日で、映画『この世界の片隅に』の劇場公開が始まってから1周年を迎えた。
近年では珍しいほどのロングラン上映となり、長尺版の制作もほのめかされている。

僕も呉市立美術館での展示(パネル解説)、『公式アートブック』、『公式ファンブック』などに関わらせていただき、とかくこの作品について考えることが多い1年だった。

映画『この世界の片隅に』を鑑賞したあと、こうの史代の原作マンガを手に取った方も多いのではないだろうか。その次に読む作品としては、僕は『さんさん録』をオススメしたい。こうの作品としては文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞した『夕凪の街 桜の国』が有名だが、『この世界の片隅に』へとつながる影響度としては『さんさん録』が直接的だ。

では、『さんさん録』は『この世界の片隅に』に、どのように関係しているのか。
それを見ていくに際して、まずは雑誌連載時の状況について述べていきたい。

『この世界の片隅に』は臥薪嘗胆の一作

『さんさん録』や『この世界の片隅に』が掲載された雑誌は「漫画アクション」(双葉社)である。両作品が掲載された当時の状況として、「漫画アクション」の“休刊”事情を抜きには語れない。

「漫画アクション」の創刊は1967年。
今年2017年に創刊50周年を迎え、その歴史は「週刊少年ジャンプ」(集英社)より1年長い。
老舗のマンガ雑誌といえるが、2003年9月30日号をもって「漫画アクション」はいったん休刊を余儀なくされている。その後、リニューアルして2004年4月8日号から復刊し、『さんさん録』は2004年12月2日号から連載を開始することになる。こうの史代にとって、『さんさん録』は「漫画アクション」での初めての連載作品となった。

『さんさん録』は、妻を交通事故で亡くした独居老人の奥田参平(さんさん)が、息子夫妻と同居することになり、妻の遺した生活ノートを参考に、専業主夫として家事全般に取り組む作品だ。

この連載の開始当時を、こうのは次のように述懐している。
四年前、わたしは自信を失って落ちこんでおりました。いくら描いても、いっこうに速くもならず売れもしない事に気付いたからです。
そこで、いっその事うんと苦手なものを描いてみよう、と思い立ちました。
それで「じじい」を主人公にしようと思ったのです。
『さんさん録』2巻あとがきより引用
初版2006年7月28日
あとがきの日付 2006年5月
『さんさん録』の第1話が掲載されるのと同時に『夕凪の街 桜の国』(初版2004年10月20日)が刊行されると、こちらは2004年度(第8回)文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞。メディアの脚光を浴びることになるが、その当時にリアルタイムで連載をしていた『さんさん録』はあまり注目を集めることがなく、連載は2006年5月2日号で終わる。
メディア化などで作品が注目を集めるのは、作家にとって幸福なことだと思うが、しかし“いま”連載している作品が話題にならないことに忸怩たる思いを抱いていたのではないだろうか。それは、もしかしたら『この世界の片隅に』フィーバーのさなかにも、あったことかもしれない。

こうのは『さんさん録』の出来について、前述のあとがきの中で「今まで商業誌で発表した中で、やっぱり一番自信のない作品」「こんなもんで終われないなあ」と吐露しており、
これからを見ていてください!
と、あとがき文を締めくくっている。
そして、『さんさん録』の連載終了と時を同じくして「月刊まんがタウン」(2006年2月号)に掲載された読切作品が「冬の記憶(昭和9年1月)」だ。
続いて「大潮の頃(10年8月)」(「漫画アクション」2006年8月15日号)、「波のうさぎ」(漫画アクション」2007年1月9日号)と合計3本の前日譚を経て、「漫画アクション」2007年1月23日号から『この世界の片隅に』の本編の連載がスタートする。

『この世界の片隅に』は、こうの史代にとって臥薪嘗胆の一作だったのである。

手法とテーマに見る両作品の共通性

こうした作者の心情的な面だけでなく、作品の内容においても、『さんさん録』は『この世界の片隅に』へと通じる部分は多い。

前述のとおり『さんさん録』は、男やもめの主人公・奥田参平が、亡き妻の遺した生活ノートを参考に家事全般に取り組むのだが、定年をとうに迎えた「じじい」が、肉じゃがを作ったり、大掃除をしたり、シャツのボタンを縫い付けたり……と、いわば「生活の知恵」の豆知識マンガのような要素が強い。こうした日々の暮らしの段取りを丁寧に描いて見せていく手際は、『この世界の片隅に』のすずの生活描写にも通じる。
すずが楠公飯を炊いたり、着物を裁断してアッパッパともんぺを作ったりするシーンが好きであれば、『さんさん録』の作品全体を通じて描かれる生活描写はきっと気に入るだろう。
作品の時代設定は現代だが、生活水準からは「少し前」の時代を思わせるので、『この世界の片隅に』に感じたものとは手触りの違う「懐かしさ」が得られるはずだ。

そしてもうひとつは、ファミリー・ヒストリーを物語へと織り込み手法だ。
参平は息子家族と同居することになり、その家族と接したり、妻の生活ノートを読んだりすることで、少しずつ家族の歴史が浮かび上がってくる。明言するのではなく、絵による暗示。
おそらく作者は、これまで女性を主人公に作品を描いてきたが、本作では「うんと苦手な」じじいを主人公にしたことで、従来の描き方ではキャラを掘り下げるのに時間を要したのではないかと推測される。そこで、周辺に配した人物との関係性によって主人公(参平)を逆照射し、これまでとは違ったアプローチでキャラを掘り下げていったのだろう。
『この世界の片隅に』では北條家(や黒村家)の来し方が作中で暗示されていくが、その手法のロールモデルが『さんさん録』にみとめることができるわけだ。

再びあとがきの記述に戻るが、作中に「恋の甘さと痛みという新しい主題」を加えた理由として「「この世に居る」とはどういう事かを、参平を通じてより鮮明に描いてみたかった」と記している。
最終話に向かう段階で「居場所を見つける」という『さんさん録』の作品テーマが明らかになっていくが、それは『この世界の片隅に』を鑑賞した視聴者にとっては、なじみのあるフレーズではないかと思う。

生活の段取り描写、個人史の中に織り込むファミリー・ヒストリーといった手法、そして「居場所」というテーマは、市井に暮らす人々の「小さな物語」を豊かに描き出す。
そして、こうした「小さな物語」に、戦争という「大きな物語」が対比されることで『この世界の片隅に』の物語構造ができあがっていったと見るべきだろう。

映画『この世界の片隅に』の公開から1年。
どのようにして『この世界の片隅に』が成り立っていったのかを考察するうえでも、いまこそ『さんさん録』を強くオススメしたい。