異例の早さでドラマ化した『刑事ゆがみ』

『刑事ゆがみ』は、2017年10月12日からフジテレビ系列で放映されている連続ドラマである(放映期間中はTVerで最新話を視聴可能)。

浅野忠信と神木隆之介が出演している話題作であり、原作は井浦秀夫の同名マンガだ。「ビッグコミックオリジナル」(小学館)の2016年5月2日号から連載を開始しているので、わずか1年ちょっとで実写ドラマ化したことになる。

「ビッグコミックオリジナル」2017年11月5日号の巻末の読者投稿欄では、本作の実写化について「単行本未発売の時点で、ドラマ化の打診があり」 と編集部がコメントしているように、異例の早さでのメディア化であったことがうかがえる。
同じ井浦作品では『弁護士のくず』が豊川悦司の主演でテレビドラマ化(TBS系列)されたことがあるので、作家に対する信頼があればこそだろう。

『刑事ゆがみ』は刑事サスペンス作品である。
主人公の弓神適当(ゆがみ ゆきまさ)は、普段は何事にも適当な人物だが、事件解決のためには違法捜査もいとわない敏腕刑事。刑事課の方針には従わず、スタンドプレイで難事件を解決に導く。
ドラマ版では、弓神に振り回される若手・羽生虎夫に「出世をもくろむ腹黒さ」というオリジナル設定が付与され、弓神と羽生のバディものとしての要素が強く打ち出されている。
ドラマは1話完結型で、各話は原作に出てきたエピソードをベースにしているが、ストーリーや設定などは大幅に改変しており、原作との相違点を楽しむのもいい。

原作は、ある意味では『弁護士のくず』の刑事版といったテイストで当初は幕を開け、弓神というキャラクターを読者に提示しながら1エピソードを数話かけて事件をこなしていく……のだが、現在「ビッグコミックオリジナル」で進行中の新シリーズ「影の男」で「ロイコ事件(連続殺人小説家事件)」(第2集「殺人鬼の呪文」)が再びクローズアップされることになった。
このロイコ事件を契機に弓神は現在の性格になったと以前のエピソードでほのめかされており、これまで各エピソードのサブテキストのようにちりばめられていたロイコ事件こそが作品全体を貫くメインストーリーとなりそうな予感を漂わせてきた。

そしてまた、この「影の男」は、オウム真理教事件を題材にしている点で見逃すことができないシリーズとなっている。

オウム真理教の在家信者死亡事件(1988年)

「影の男」シリーズは、若い女性の捜索願いが発端となる。捜査を進めると、全一(コスモス)という新興宗教団体にたどり着いた。そして全一は、主体と呼ばれる教祖的存在とは別に影の支配者がいて、次々と美女を誘い込んで殺している……との疑惑が浮上してきたのである。弓神は週刊誌記者にスキャンダルを書かせようとした矢先、テレビ局がワイドショーで取り上げた。
事実、全一では主体の愛人が事故で亡くなっていた。主体は影の男の指示に従い、団体と自分を守るために愛人の遺体を隠匿したのである。

この導入部は、オウム真理教における在家信者死亡事件をモデルとしている
1988年9月22日、オウム真理教の富士山総本部で在家信者が修行中に事故死した。このときオウム真理教は東京都に対して宗教法人になるための手続きを行っており、この事件が発覚した場合、教団の法人化に悪影響を及ぼすことが懸念され、教祖の麻原は警察に連絡せず死体遺棄を指示した(翌1989年3月に宗教法人の認証申請、同年8月25日に宗教法人として認可される)。
この事件はオウム真理教関係で発生した最初の死亡事件とされており、この頃から麻原は犯罪を正当化する「ヴァジラヤーナ」の教えを説き始め、教団は武装化への道を歩み始めたという。
そして1989年10月、「サンデー毎日」(毎日新聞出版)が「オウム真理教の狂気」と題する連載企画をスタート。このとき取材に応じ、オウム批判の急先鋒に立ったのが坂本堤弁護士であった。

なお、全一の主体は、自分の入った風呂の水を霊水として売っており、これもオウム真理教におけるイニシエーションを強く想起させる。
そして全一を陰で操る男こそ、17年前の「ロイコ事件」の首謀者ではないか、と弓神は見立てているようだ。ロイコとはロイコクロリディウム、カタツムリに寄生して本体を乗っ取り、操作してしまう寄生虫のことだ。

なお、井浦秀夫が新興宗教を題材にマンガを描くのは、これが初めてではない。
新興宗教の成り立ちや発展を描いた『少年の国』(1991年)という作品がある。

カルトの暴走を描いた予言的な作品

『少年の国』は「漫画アクション」に1991年に連載された作品である。
  
高校の同級生の自殺を目の当たりにした少女・浅川聡美は、神がかり的な口寄せを行う。マスコミは彼女を霊感少女として大々的に取り上げると、やがて聡美の前に謎の男が現れ、聡美にかしづいて「お迎えにあがりました」と言う。謎の男・出門真人は聡美を教祖として祭り上げ、新興宗教団体「エコー」を立ち上げるのであった。
エコーは環境破壊に警鐘を鳴らす終末思想を根本教義とし、瞬く間に若者を中心に10万人以上の信者を獲得。教祖である聡美の意思をよそに、教団は徐々に先鋭化していく。

若者の出家、家族と教団の対立、終末思想(ハルマゲドン)、大義のための犯罪容認(ヴァジラヤーナとポア)、内ゲバ、教団への弾圧を「権力の謀略」と認識……と、『少年の国』はまるでオウム真理教をそのまま描いたかのようだ。『少年の国』連載時には、すでに坂本堤弁護士一家失踪事件(当初は殺人事件ではなく失踪事件とされていた)へのオウム真理教の関与が疑われていたが、教団の内情が明らかになるのは1995年の強制捜査と麻原逮捕以降のこと。それより4年も前に暴走するカルトを描いていたことで、『少年の国』は予言的な作品であると評価された。

マインドコントロールには、カリスマが信者を心服させるだけではなく、信者が「自分たちが信じたいものを信じる」メンタリティも必要となる。その双方向性が集団をカルト化させると思うが、閉鎖的な共同体のなかでの教え(教義、教育、規律)が共同体内部でのみ濃密に醸成され、第三者的な視点を持ちえない、閉じられた空間で音が残響し続ける「エコーチェンバー現象(Echo chamber)」の過程が描かれている点で『少年の国』は白眉だ。

『刑事ゆがみ』は、再びカルト宗教を題材にしているだけでなく、明確にオウム真理教を意識している。しかも、「気づいた者は、気づいていない「凡人」に対して優越感を抱く。」「そうして「目覚めた」人間が欲動に突き動かされた時、もはや止めるものは何もなかった。」(第2集「殺人鬼の呪文」)といったように、終末思想にハマった人間に酷似した心理状態を描いている。

『少年の国』から四半世紀。
オウム真理教事件やカルトに関する様々な情報や知見が出てきた現在、かつて「予言の書」を世に著した作者はどのような切り口で新興宗教を描くのだろうか。教祖とは別の存在が教団を動かすというモチーフを、なぜ再び扱うのか。今後の展開に注目せざるを得ない。
そしてドラマ版は、どこまで踏み込むのだろうか。