パンデミックを題材にした医療サスペンス
『リウーを待ちながら』は、伝染病のパンデミックに直面した医師や市民たちを描く医療サスペンスだ。……と書くと、医療マンガかと思われるかもしれないが、医療に関する知識がなくとも楽しく読める点を、まず最初に強調しておきたい。
作者の朱戸アオは、これまで何作も医療サスペンスを手がけてきているので、専門性の高い知識を提示することで読者が引いてしまわないよう配慮することがうまい。
そして、作者にとって複数巻(2巻以降)にまたがるシリーズは本作が初となる。
物語の舞台となるのは静岡県横走市。富士山のふもとに広がる高原都市で、市内には演習場や駐屯地など、陸上自衛隊の施設が存在する。人口9万人弱の小都市で、おそらく静岡県御殿場市がモデルだろう。
この小さな町で伝染病が発生し、またたく間に感染が拡大していき、首相は「緊急事態宣言」を発令。横走市は封鎖されてしまう。
横走中央病院に勤務する主人公・玉木涼穂(たまき すずほ)は、この封鎖された町で、医師として伝染病に立ち向かうことになる。
伝染病の発生から感染拡大までのスピード感が、たまらなく恐ろしい。
第1話の試し読みはこちら。
作者のブログによると、本作は過去作『Final Phase』を元にしているとのことだ。
『Final Phase』での人物配置などは今作にも引き継がれているので、もし『リウーを待ちながら』を読んで興味を抱いたら、サブテキストとして読んでみるといい。
『Final Phase』では伝染病の原因はハンタウイルスであったが、今作『リウーを待ちながら』では別の菌がパンデミックを引き起こす。
まずはそのあたりから見ていきたい。
リウーとはだれか
本作のタイトルは、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』のもじりである。
この戯曲は、ふたりのホームレス(ウラディミールとエストラゴン)がゴドーという人物をひたすら待ち続ける話だ。彼らはゴドーに会ったことがなく、たわいのない話を続ける。結果、ゴドーは現れず、ふたりはゴドーに会えずじまいに終わる。
この「ゴドー」が何を意味するかが、解釈のわかれどころだろう。
「話題の中心人物が結局は姿を現さない」手法は映画『桐島、部活やめるってよ』でも用いられ、作中登場人物たちにとっての「桐島」とはどのような存在なのかが鑑賞のポイントとなる。
では「リウー」とは誰か。
これは作中でたびたび引用される『ペスト』(アルベール・カミュ)の登場人物ベルナール・リウーのことだ。
フランス植民地(当時)のアルジェリアのオラン市は、軍港の町である。この町でペストが発生し、死者が続々と出て、やがて市は封鎖されて外部と完全に遮断される。そのなかでリウーは医師としての務めをまっとうするが、ある者は脱走を画策し、イエズス会の神父は神への全面的な帰依を説き、追われていた者は密輸で統制品を手に入れ、ペストによって自分の居場所を見出す。
ある日突然、人々の平穏な日常はペストによって破壊されるが、ペストとどう向き合うかによって、この不条理な世界で人間はどう生きるべきかが紡ぎ出されていく。主人公のリウーは、医師として誠実に「自分の職務を果たすこと」に専念するのであった。
では、作中で「リウー」を待ちわびているのは誰か。
それは主人公の玉木とともに、横走市で伝染病と戦う国立疫病研究所の原神だ。
原神はカミュの『ペスト』を引き合いに出して次のように語る。
「昔 読んで感動してね」ここで仮眠中の玉木がクローズアップされる。
「それに出てくる先生みたいになりたかったけど」
「僕には無理だった」
「だからずっと待ってるんだよ」
「その先生を」
第10話「リウーを待ちながら(前篇)」(2巻収録)より
はたして玉木は、リウーになれるのか。
横走市で発生した伝染病の病原菌は第2話にて判明する。
ペストだ。
本作はカミュの『ペスト』を下敷きにしつつ、「もし現代の日本でペストがアウトブレイクしたら」という if を想定した医療サスペンスなのである。
カミュの『ペスト』は、以下のように締めくくられる。
「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、…しんぼう強く待ちつづけていて、そしておそらくいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストがふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差向ける日が来るであろうということを。」横走市に、"その日"が訪れてしまったのだ。
カミュ『ペスト』新潮文庫より
本作のタイムサスペンス要素
本作のみどころに、タイムサスペンスの要素があることを指摘しておきたい。
FM横走にゲスト出演した原神(第8話「敗北」2巻収録)は、そこで「基本再生産数」について話す。基本再生産数とは、ひとりの患者が平均して何人に感染症をうつしたのかを数値化したもので、インフルエンザは2~3、麻疹は16~21と例示する。
そこで原神は、いま横走市で発生しているペストの基本再生産数を5、3日間で5人ずつ感染症を広げていくと仮定する。そして「たった10日ほど」で156人が感染すると話すのだ。
ラジオではそこまでの数字しか話していないが、これがいかに絶望的な数字か。
少し計算すればわかるとおり、この計算式では22日間で97,676に達する。横走市の人口は前述のとおり、9万人弱。たった3週間で横走市は全滅するわけだ。
この8話時点ですでに156人の患者が亡くなっており、原神は玉木に「僕らはもう負けた」「そしてこれからは負け続けるんだ」と吐露し、「ここからは別の長い戦いになる」と語りかける。
つまり、作中で主人公たちに残された時間は、残り10~12日間程度。
この絶望的な数字を抱えながら、タイムリミットが刻々と迫りくるなか、横走市の住民は日々を暮らすことになる。
なお、カミュの『ペスト』は、「タルーの日記」と「本書の語り手」(※ネタバレ※リウーのこと。主人公はペスト禍を生き残る)のふたりの視点によって、物事が立体的にとらえられる。
『リウーを待ちながら』でも、主人公・玉木の視点だけでなく、さまざまな登場人物の視点によって同一のシークエンスが複眼的に描かれていく。これがじつは重要なことで、読者の主人公ただひとりに対する感情移入を防ぐ効果がもたらされるのだ。さまざまな立場のあり方を理解させることで、「この不条理な世界で人間はどう生きるべきか」というテーマに対する人それぞれの反応を浮き彫りにし、この世界には唯一無二の「正しさ」など存在しないことを突きつけてくる。これはテーマにマッチした手法といえるだろう。
できるだけ誰かの心情に寄り添わない、登場人物に対する等距離感。
それは激情型ではなく淡々とした描写につながるが、それこそペストに侵された町がゴーストタウン化していく静寂(しじま)を表現しており、僕はそこに大きな恐怖を感じた。
今後のみどころ
カミュの『ペスト』は、第一部を丸々使ってようやくオラン市の封鎖が完了する。市当局は封鎖に二の足を踏み、その様子が延々と語られるのだ。フィクションであればこそ、そのリアリティ水準を担保するために必要な描写なのだが、しかしこのパートで本を閉じる人も多いはず。それほどにここの描写は長く、面白みは乏しい。
『リウーを待ちながら』は2巻冒頭で市内封鎖が完了するが、そこまでの展開はとてもスピーディで、冗長さを感じさせない。封鎖の様子をテンポよく場面転換で見せていけるのは、マンガならではの特性だ。
さて、封鎖されたオラン市(『ペスト』)では、外部との電話も手紙のやり取りも禁止され、短い電報のみが許される。もともと娯楽の少ない小都市なので、住民はやることもなく、ただ「この世から追放された」意識から諦念を募らせていく。
横走市(『リウーを待ちながら』)の場合、インターネットで外部と通じてはいるものの、ネット社会ならではの排外性に曝されて(福島に対するような)、封鎖の内側に取り残された人々は孤立さを深めていく。
この抑圧状態の町で、また封鎖している自衛隊に反発心が育まれるような要因が示されるなかで、統制された共同体がどのように変化していくのか。
そこは今後の注目ポイントとなる。
なお、『ペスト』で見せたリウーの「自分の職務を果たす」誠実さは、パヌルー神父(イエズス会)との対比のなかで、宗教に依拠しない近代的なユマニストとしての立場を明確にした。それは「でもやるんだよ」(根本敬)的な精神に近いのかもしれない。それは思考停止とは異なる。
ひるがえって『リウーを待ちながら』の玉木のスタンスは、どのように表現されるのか。
『Final Phase』では、主人公のスタンスは「災害ユートピア」(『災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』)に絡めて説明されたが、3.11を経たいま、その表現の仕方には変化があるものと思われる。おそらくここに、朱戸アオの作家性が強く打ち出されるはずなので、いまから注目しておきたい。
封鎖社会が完了するまで、うまくソフトランディングした本作。
主人公の振る舞い、各人物の言動、封鎖社会の変容、医療サスペンス、タイムサスペンスと、非常にみどころは多い。
物語が作者の思い描いたような帰結を見るように、ぼくらが「続刊を待ちながら」にならないように、老婆心ながらセールスが伸びることを願わずにはいられない。
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