カストロの表現規制

キューバ共和国の前国家評議会議長のフィデル・カストロ(1926年8月13日~2016年11月25日)が亡くなってから今日で丸1年となる。
カストロは1959年に親米のバティスタ政権を打倒し、キューバを社会主義国家に変えた“革命の英雄”である。カリスマ的な指導者として1976年から2008年まで国家評議会議長(国家元首)としてキューバに君臨し続けた。

共産党独裁政権下のキューバでは、教育と医療は無料だが、個人的人権(信仰や言論の自由など)は保障されていない……といわれている。
とはいえ『苺とチョコレート』のようにLGBTを題材にした映画作品が1994年にはすでに公開されているので、実際に「表現の自由」への規制がどの程度なのか、専門家ではない僕には判断がつかない。


いずれにせよ、カストロは1959年1月1日にハバナを占領して革命政権を樹立すると、その直後から報道機関をすべてコントロール下に置いた。
テレビ、ラジオ、新聞はもちろんのこと、新聞に掲載されている風刺マンガにもカストロは口出ししており、カストロは反バチスタ政権のマンガ家を称賛している。
その一方で、反カストロ的、反共産主義的なマンガ家には「CIAのために働いている」と痛烈な批判を浴びせた。

その矛先を向けられたのが、アントニオ・プロヒアス(Antonio Prohías)だった。

プロヒアスという作家の来歴

アントニオ・プロヒアスは1921年にキューバのシエンフエーゴスに生まれた。
新聞に風刺マンガを発表するマンガ家で、1959年1月の時点でキューバマンガ家協会の会長だったが、カストロから非難され、1959年2月に新聞社を辞職した。
1959年の秋頃にプロヒアスが新聞に発表した風刺マンガのうち、代表的なものを以下に引用する。
img_prohias
「赤いカトラリー(食器)」と題された1コマ作品で、ガイコツが槌と鎌を使って食事を摂ろうとしているが、その皿の上には何も盛られていない。
そしてコマの下には「諸君、“槌と鎌”では食いづらいぞ」とのセリフが添えられている(初出時が英語がどうかは不明)。
「槌と鎌」は、もちろん共産主義のシンボルを意味している。
つまり「共産主義(カストロ政権)では民は飢える」という政治的なメッセージの強い風刺マンガだ。
Hammer_and_sickle
翌1960年、プロヒアスはアメリカへの亡命を余儀なくされる。
キューバ危機が起きる2年前、東西冷戦の真っただ中のことだ。

『Spy vs. Spy』の誕生

アメリカに亡命したプロヒアスは、昼は縫製工場で働き、夜は「MAD」誌への持ち込み原稿(cartoon portfolio)を描き続けた。
「MAD」誌はECコミックが発行する風刺雑誌で、60~70年代には日本のマンガ家にも多大な影響を与えたとされている。現在はDCコミックから発行されており、公式サイトバックナンバーの表紙を見ると、最近はトランプ大統領が格好のネタになっているようだ。
当時、プロヒアスは英語を話すことができなかったが、彼の娘が通訳をしていた。
そして1961年、プロヒアスは「MAD」誌で連載をスタートさせる。

それが『Spy vs. Spy』だ。
1ページ(6コマ前後)完結型で、白いスパイと黒いスパイがお互いに罠を仕掛けあうスラップスティック・コメディである。
(※灰色の女性スパイが登場する回だけはタイトルが「Spy vs. Spy vs.Spy」になる)
本作は、全編に渡ってセリフのないサイレント・マンガだ。
作中に出てくる文字はタイトルの「Spy vs. Spy」だけ。
そのため日本語に翻訳されてはいないものの、冒頭に掲げた「Spy Vs. Spy: The Complete Casebook [ペーパーバック]」で十分に内容を楽しむことができる。
なお、タイトルの下に「●」と「■」で飾り罫が記されているが、これはモールス符号で
-・・・ B
-・-- Y
・--・ P
・-・  R
---  O
・・・・ H
・・   I
・-   A
・・・  S
「By Prohias」を意味している。
このモールス符号は、すべての回でタイトルの下に描かれている。

プロヒアスが本作をサイレントにしたのは、それまでネームに依らない判じ絵的な1コママンガを手掛けてきたことも理由だが、自分が英語に堪能ではなかったことも理由のひとつだろう。
しかし、誰にでも理解できる内容だからこそ、これがヒットした。
作品は広く支持され、メディアミックス化もされたので、古いゲームファンには「ケムコから発売されたファミコン版『Spy vs Spy(スパイ・アンド・スパイ)』の基になった作品」といえば通じるはずだ。

プロヒアスは1998年に77歳で亡くなる。彼の死後も、そのキャラクターは根強い人気を誇り、『Spy vs. Spy』はアメリカでは「マウンテンデュー」のCMにも起用された(2004年)。

終わることのない、神話的な戦い

さて、『Spy vs. Spy』の内容に目を移そう。
本作に登場するのは、基本的には白スパイと黒スパイのみ。
彼らはスパイであることは確かだが、どの国の諜報員なのかは作中で明示されない。ただお互いを「敵」と認識し、お互いに罠を仕掛ける。銃で撃たれようが、爆弾で吹き飛ばされようが、次回には何事もなかったかのように“いつもの”抗争を繰り広げ、勝者と敗者はその都度入れ替わるが、その結果が物語の大勢に影響を及ぼすことはない。
ちょっと過激なスパイ版『トムとジェリー』、と考えれば内容は想像しやすいだろう。

目的もなく、所属国も、名前さえも不明のスパイたちが、ひたすら抗争を続ける……という、固有性がすべて剥ぎ取られたふたりのスパイが、ただ戦うだけ。
つまり、冷戦下の東西の諜報合戦を極限までシェイプして戯画化しているわけだ。
そのため、多くを語らずともこの作品の構造自体が冷戦体制への痛烈な皮肉となっている
プロヒアスの『Spy vs. Spy』は、スパイ同士が戦うスラップスティックという子供が楽しめるエンタメ作品でありながら、政治に対する批評精神を内包している。

権力による表現規制は、どんな国でも、政治体制でも、起こりうる出来事である。
そして人間は、戦時下であれ、弾圧された状態であっても、身の安全を顧みずに己の表現方法を失わない。そこにわれわれは、表現者の黄金の精神をみとめることができるのだ。
カストロ政権下で故郷を追われたマンガ家がいたことを、記憶にとどめたい。