大ベテランの最新作
1月にリリースされた徳弘正也の新作『もっこり半兵衛』の第1巻が、「このマンガがすごい!WEB」3月のオトコ編2位に選出された。もともと「このマン」は、ベテラン(=すでに評価の定まった作家)には票が入りにくい傾向がある。にも関わらず、キャリア35年を超える徳弘の作品が選ばれた。それも時代劇という、これまた票を獲得しにくいジャンルで、だ。
徳弘正也といえば、代表作に『シェイプアップ乱』や『ジャングルの王者ターちゃん♡』、『狂四郎2030』などがあり、「『ONE PIECE』の尾田栄一郎の師匠」としても知られる大ベテラン作家である。
しかし近年は、往時のようなヒット作には恵まれていない。
この『もっこり半兵衛』は特定の媒体に定期的に連載されたわけではなく、「グランドジャンプPREMIUM」や「グランドジャンプめちゃ」に不定期掲載された1話完結型の作品だ。
1巻のあとがきによると、本作はアシスタントなしでひとりで描いており、奥様がケシゴムかけをしているという。1巻発売直後にはこのあとがきがSNSで拡散され、あたかも出版不況の現代を象徴する「漫画家残酷物語」のようなトーンでマンガファンの耳目を引いた。
では『もっこり半兵衛』は、オールドファンの同情票だけで2位になったのか。
否。
本作はマンガとして確固たる面白さを持った作品だ。
と同時に、なかなかうまく言い表せない“底知れなさ”も兼ね備えている。
いったい『もっこり半兵衛』では何が起きているのか。
下ネタ満載の、江戸の人情話
本作の舞台は享保二(1717)年の江戸。主人公・月並半兵衛は、かつて東国の荒巻藩で剣術指南役を務めていた武士である。荒巻藩の藩主は大の剣術狂だ。仕官を餌に全国から腕自慢の浪人を募り、剣術のオープントーナメントを定期的に開催していた。決勝戦では真剣を用いることになっており、半兵衛は数多の浪人を斬って斬って斬りまくった。
半兵衛は藩主の命令に従っていたにすぎないが、他人から「人殺し」と罵られるようになり、妻にも逃げられてしまう。己の生き方を見つめ直した半兵衛は、幼子を連れて脱藩し、江戸に向かった。
やがて半兵衛は、宝永六(1709)年、夜道で偶然にも柳沢吉保の命を救う。
そして吉保から頼まれて、夜回りの夜警をするようになる。
半兵衛の住む長屋には、夜警の報酬として月1両が届くようになった。この付け届けは吉保の死後も続き、それから8年が経過した……というのが、物語の開始時点の状況だ。
半兵衛は、夜鷹(道端に立つ売春婦)たちに優しく接し、薬を買う金を恵むなど、彼女たちと交流をはかる。いつも夜鷹と一緒にいるところを目撃されるので、周囲からは女好きの助平だと思われ、ついたあだ名が「もっこり半兵衛」。裏長屋に住む貧乏侍の半兵衛が、夜回りをしながら江戸の社会の底に住まう人々と触れ合う人情劇である。
夜回りの夜警や自身番(第6話)は、古典落語「二番煎じ」に詳しい。この演目を聞くと、より本作の世界観が立体的になるだろう。
時代考証がしっかりしているとはいえ、現代の読者にも馴染みやすいように「ファンタジー」や「ファッション」といったカタカナ語もふんだんに使っている。『ジャングルの王者ターちゃん♡』を彷彿とさせるような下ネタギャグも満載で、固っ苦しさのない、肩ひじ張らないエンタメ時代劇といえるだろう。
以上が作品のアウトラインだ。
内罰的な主人公像
享保二年は、八代将軍・吉宗による享保の改革が始まった直後の時代だ。享保の改革とは、悪化した幕府財政を再建するために行われた財政改革である。さまざまな政策が実施されたが、とくに緊縮財政と増税が大きなウェイトを占めていた。
庶民に負担を強いることが多く、社会不安が顕在化してきた時代……という社会背景は、現代に通じる部分があるのかもしれない。
次に半兵衛の境遇に関してだが、月に1両というのは、かなり好待遇である。
この享保年間における武士の最下層の俸禄が「三両一人扶持」。
下級武士をさげすむ「三一(サンピン)侍」という言葉があり、それが後世には「どサンピン」などといったような用いられ方をする(『キン肉マン』や『リングにかけろ』などで確認できる)のだが、その語源となったのが「三両一人扶持」である。
その収入額は「年間3両の給金+(1日あたり5合の米=年間5俵)」である。5俵を約1.8石=約1.8両に換算するなら、最下級武士の年収は約5両程度ということになる。
対して半兵衛は月1両なので、年収は12両。
娘をひとり養っているとはいえ、時代劇によく出てくるような「裏長屋で傘張りの内職をしている下級武士」に比べれば、いくぶんマシな生活が送れるはずだ。
つまり半兵衛は、社会情勢が不安ななか、本来なら経済的な余裕があるにもかかわらず、それらを社会的弱者に施し、みずから進んで社会の最下層に身を置いている、ということになる。
それはあたかも、自分自身を罰するかのように。
社会情勢や主人公の境遇を鑑みることで、ようやく内罰的な生き方をしている悲壮な主人公像が浮かび上がってくるわけだ。
貧乏侍が夜鷹に“もっこり”しながら夜回りをする……というお気楽な体裁を取りながら、その実、半兵衛は贖罪意識から地獄の業火でその身を焼き続けているのである。
本作を「肩ひじ張らないエンタメ時代劇」と前述したが、しかしサブテキストとしてこのような主人公の苦悩が描かれていることは、承知しておくべきだろう。
人情物の特性
僕は近年の徳弘作品の中では『亭主元気で犬がいい』が気に入っていて、「このマンガがすごい!2013」(2012年12月刊行)ではこの作品に投票している。この作品の主人公は、猟奇殺人犯を兄に持つ女性だ。「殺人犯の妹」として差別を受けた主人公・マリは、通りすがりの大学教授・水田連太郎に命を救われ、つかの間の幸福を手にする。ところが、兄が起こした殺人事件の被害者家族によって、連太郎が惨殺されてしまうのであった。
かなり陰惨な設定だが、連太郎がなんと子犬に転生する。ひとりと一匹の「夫婦」が探偵コンビとなり、宗教団体や保険金殺人、薬害訴訟などの諸問題に挑む。

圧倒的にフィジカルの優れた、しかし純粋無垢な主人公が、社会の不条理に翻弄される。これは青年誌に舞台を移して以降の、徳弘作品に出てくるキャラクターのひとつの類型だ。『亭主元気で犬がいい』のマリしかり、『もっこり半兵衛』の月並半兵衛もまたしかり。
それはさながら無垢なる者を善とするキリスト教的価値観の体現のようでもあり、「ヨブ記」を彷彿とさせる。しかし、絶対的な神を持たない主人公にとって、絶望の淵にあって己を見失いそうになったときに支えとなるものは何か。
徳弘作品で、闇の中に漕ぎ出した主人公にとって灯台となるのは、人の情けだ。
だが徳弘作品には、性善説に基づくような善良な市民もいれば、性悪説にのっとったような狂人も出てくる。世界には善意も狂気も、同等にあふれているのだ。
その性悪説の部分が強くなると、作品を覆う厭世観が強くなりすぎるきらいがある。『亭主元気で犬がいい』は前半部分、『黄門さま ~助さんの憂鬱~』は後半部分に、厭世観が強めに出ている。
ところが『もっこり半兵衛』の場合、あらかじめ「人情話」と定義して物語っているせいか、いまのところ奇妙なバランス感覚で、善意と狂気の揺れ幅を一定の閾値内に収めているようだ。
世間には善意も狂気も同等にあふれているが、しかしそのうえで良き人であろうとする働きが作用している。
人の情けに救われた半兵衛は、まだ危うさをはらみつつも、町内を守ることで自己を取り戻した。
ひとりでは世界は救えないが、自分の住む世間は変えられるのだ。
ただしそれは1巻でのこと。
この先、半兵衛がかつての主君(荒巻藩主)や過去を知る者と対峙することになった場合、果たしてその平衡感覚は維持されるだろうか。それが2巻以降の注目ポイントとなる。
僕は、今回の作品は、徳弘の望む善なる世界に行きつくものと思っている。
なによりも娘の存在が大きい。
それこそ「子別れ」のように、「子はかすがい」になるとの予想をしつつ、今後の展開を追っていきたい。
お下劣ギャグの効能
ところで徳弘正也はなぜ下ネタのギャグやエロ描写を作中に入れたがるのか。そもそもタイトルの「もっこり」からして、男性器の勃起状態、転じて性行為そのものを指す隠語である。マンガで「もっこり」というと『シティーハンター』が思い出されるが、メジャーマンガ誌における「もっこり」の語句の使用は、北條司は以下のように述懐している。
「いや、大人だから、こんなの少年誌でやってもいいのかと思いましたよ。でも、前例があったんですよ。徳弘正也さん(『シェイプアップ乱』の作者)が最初に“もっこり”をやったので、その陰に隠れてこっそりやれば、文句言われないんじゃないかと……」まさしく徳弘正也こそ「もっこり」の第一人者なのだ。おそらく「好きだから」という理由が大きいのだとは思うが、さらにそこには必然性も加味される。“もっこり”は世界共通語!? マンガ家・北条司と編集者・堀江信彦が明かす『シティーハンター』裏話WEBサイト「おたぽる」2015.09.21付の記事
徳弘は下ネタを描くことについて、以下のように証言している。
「一番怒られそうなことを、僕が描いていたいんです。ぎりぎりのところまで描いたら、次に描く人が『これはまだ大丈夫なんだな』と思って、そこまで描くことができる。表現の制約はどんどんきつくなっていて、今はもう『狂四郎2030』の頃の描写はできないんです。小説だったら全然問題ない性描写が、マンガだとできないのはおかしい。もちろん陰惨な、やってはいけない性表現は別ですよ。でも女の人の裸が出てきてセックスする、というシーン自体はストーリーを描いていくうちに必要になるものだと思うんです。それを無理やりカットしたら、その男女の関係性をうまく表現できなくなる場合もある。」事実、徳弘作品の描く性表現は、いわゆる「サービスカット」としては機能していない。『「週刊少年ジャンプ」40周年記念出版 マンガ脳の鍛えかた』集英社より引用
徳弘作品の性表現は、ストーリーを物語るうえで必然性がある場合と、ギャグとして挿入される場合に用いられている。
テンポの良いギャグが繰り返されることで、読者は物語にいつしか引き込まれる。笑いは、その作品や作者に対する信頼感を読者に生じさせるものだ。また、お下劣ギャグがコメディリリーフとして作用するから、シリアスで内面的な問題をモチーフとして扱うことができるのである。
われわれ読者は、お下劣ギャグに素直に笑ったり、あるいは冷ややかに苦笑したりしながら読み進めていくうちに、いつしか人間の本質に迫るようなテーマを突きつけられているのだ。
まさに『もっこり半兵衛』は、お下劣なヴェルギリウスといえるだろう。
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